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首を伸ばして窺ってみると、ソレは茂みの中でふいんふいん、と言うような鳴き声を上げた。
「仔犬・・・?」
フィンは手を伸ばして小さな白い生き物を茂みから引っ張り出した。
微妙に抵抗されて、枝で手を引っ掻く羽目になったが、
それよりも手に感じた柔らかい毛の感触が気持ち良くて、強引に引きずり出した。
それは仔犬のようだった。
生後半年くらいだろうか。少し育った感じだ。ちょっと重い。
つぶらな瞳は青。純白の体毛が薄明の空の下、薄暗い中で浮き上がるようだった。
ぴんと立った耳と小さな尻尾。
手足をばたばたさせていた仔犬は、フィンと目が合うと、きょとんとした。
かっ・・・かわいい。
地面に膝を着けたまま優しく抱っこすると、白い仔犬はふんふん、
とフィンの臭いを嗅ぎ、フィンの顔を舐めはじめた。
ころころとした仔犬は日向の匂いがした。
「お前、迷子?お母さんはいないの?」
仔犬は分かっていないのか、フィンのエプロンの裾をくわえて齧りはじめた。
慌てて止めさせる。
フィンは仔犬を抱えたまま考えた。
こんな山の中である。山犬の子かもしれない。
親とはぐれたのか。親はこの子を探しているんだろうか。
このまま放っておいたら飢えて死んでしまう可能性もある。
フィンは取り敢えず仔犬を台所まで連れて行き、牛の乳を器に入れて出してみた。
仔犬はニオイを嗅いでから、ぴちゃぴちゃと音を立てて飲みはじめた。
ボウルに頭を突っ込むようにして一生懸命飲んでいる姿が微笑ましい。
やはりお腹が減っていたのだろう。
これくらい育っていれば固形物の方が健康の為にいいかもしれない。
フィンは満足してから、ふと、家に置くならレイの許可がいるな、と考えた。
弟子とはいえ、あくまでフィンは居候であって、この館の主人はレイだ。
それで、仔犬を台所に残し、2階のレイの部屋に向かった。
寝ているかもしれないと思ったが、ノックすると「どうぞー」
とのんびりした声が帰って来た。戸を開けて、中に入る。
「師匠、そこで仔犬を拾ったんですが、
辺りに親がいないようだったので連れて来ました。」
レイは相変わらずきったない机の上で読んでいた本から顔を上げた。
「へえー、仔犬ですか。」
読む前に片付けろこのモノグサ!とは言わない。
一応師匠で年長者だからそんな口の利き方はしない。
後で懇切丁寧に嫌味・・・心を込めて、
ついでに脅・・・説得しよう。
「暫く置いてもいいでしょうか。」
レイは少し考えてから本を閉じた。
そして立ち上がるとフィンの方へ向かって来た。
「仔犬・・・村で犬を飼っていたのは4件ありましたよね・・・
仔犬が生まれた話は聞いてませんが・・・野良かな?毛色は?」
「白い毛に青い目です。」
いや、明かりの下に連れてきたらあの白い毛は金色に見えたかも。
そう言えば、村に白い犬はいなかった、とフィンは思った。
レイは眉をひそめるとうーん、と唸った。
あれ?まさか・・・でもなあ・・・
とブツブツ呟いてから
「ちょっと見せて下さい。」
と神妙な面持ちで言うので、フィンは素直に頷いた。
台所に入ると、空っぽの皿の側に仔犬がいなかった。
フィンはテーブルの下を覗いたりと探し回った。
すると棚の陰から白い塊が飛んで来て、フィンの足にぶつかって止まった。
スカートに前足をかけて舌を垂らし、尻尾を千切れんばかりに振っている。
フィンは無意識に微笑んで、仔犬を抱き上げた。
すかさず顔を舐めようとする仔犬を押さえて、レイに「これです。」と言う。
レイは仔犬に顔を近付けて、驚いたような顔をしながらしげしげと観察していた。
仔犬はそんなレイに、身を乗り出して噛みつこうとした。
レイは「おっと」と言うと、すんでのところでかわして身を引いた。そして苦笑いを浮かべた。
「フィン・・・これは仔犬と言うか・・・・妖狼の子ですねぇ。」
―――ようろう の こ。
「え・・・・・よ、妖狼?」
フィンは驚愕して仔犬を見た。
仔犬は目をきらきらと輝かせてフィンを舐めようとする。
妖狼・・・
「はい。恐らくこれは、水と風の属性でしょうね。
青の目は水で白っぽいですが、この金の体毛が風の証です。
まだそんなに魔力はありませんので危害は及ぼさないでしょうが。」
見かけは置いても、動きがただの仔犬にしか見えない。
「きっと北の山に住む妖狼の子どもなんでしょう。
どうしてこんな人里におりて来たのか・・・
もし親が探していたら大変ですねえ。
妖魔とはいえ、普通の狼と同じで母性本能が強いですから、
襲いかかってくるかもしれません。
水系の妖狼は凶暴かつ残忍ですしね。」
顔が引き攣ったフィンに、レイはのんびりと笑いながらそう言った。
「ど、どうしましょうか。」
「うーん・・・まあ、その時はその時ですね。
素直に返せばそんなに怒らないかもしれません。
もしもの時はまあちょっと痛い思いをしてもらうことにして、と。
フィンのことが気に入ったようですね、その子は。
今の内に一杯触っときなさい。
妖狼に触れるなど、そう滅多にできることではありませんから。」
さらりと言うとレイは子狼の頭を撫でようと手を伸ばして、また噛みつかれそうになった。
少し残念そうに笑う。
「私はどうやら嫌われたようです。」
レイは自室に戻って行った。
フィンは椅子にかけて、膝に子狼を乗せた。
首筋を撫でると嬉しそうに目を細める。
「お前、名前は何と言うの?
きっと今頃お前のお母さんは心配しているだろうね。」
子狼はフィンを見上げた。
濃い青の目は光の加減で青紫に見える。
何か言いたそうな顔をしているが、残念ながらフィンにそれを理解することは出来ない。
せっかく可愛い犬を見つけたと思ったのに。妖狼とは。
―――妖狼
―――つまり、妖魔
―――フィンの人生を滅茶苦茶にした、原因・・・
妖魔。
フィンが、最も嫌いな生物だ。
顔を強張らせて見つめるフィンに、子狼はふいんふいん、と鼻を鳴らして、
フィンの胸に前足をかけて膝の上で立ち上がった。
輝くつぶらな瞳が一心にフィンを見ている。
愛嬌たっぷりの子狼の様子に、フィンはどうしても
このチビスケを憎むことが出来そうになかった。
「きゅおーん」とか「くあう」とか「あわあぉうん」と言うような鳴き声は、
まるでフィンに話しかけているように見えた。
フィンは子狼を床に下ろすと、夕食の支度に取り掛かった。
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