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12歳になったその日からフィンは独りになった。
そして幾度となく・・・実際数えきれない程あの日の悪夢を見た。
業火に包まれる村、逃げ惑う人々の悲鳴、それを嬉々として追い、襲いかかる妖魔の群れ、焼け焦げた臭い、転がる骸が放つ吐き気のするような屍臭。
それらの全てが鮮明に蘇るのだ。
目を背けたくとも、まるで罪戻を示すように・・・繰り返し繰り返しその光景が脳裏に広がるのだ。
そう、それは糾弾だった。
村人・・・そしてリュミエールが、ただ1人だけ、生き残ったフィンを責めるのだ。
裏切者。卑怯者。
1人だけ安全に逃れた。フィンはリュミエールを見捨てて逃遁した。
心が麻痺したように、何も感じられなくなって、
生きる喜びも、死の恐怖も、
なくなった。
迷罔したままただ無為に毎日が過ぎ、今自分が夢にあるのか現にあるのかも暫く分からなかった。
朝眠りから覚め起き上がることも、あるいは休息の為の睡眠を取ることも、
食事をすることも億劫で、勿論食べたくもないし食べる必要も感じないし、
生きることが面倒で、自分の事なんかどうでも良かった。
本当に、何もかもどうでも良かった。
あの頃、毎日何をしていたのか何があったのか、記憶があまりない。
レイの言葉を借りれば、所謂自我自失状態だったのだろう。
希望も喜びも無くて、ただ前に在ったのは『虚無』だった。
そして、もう十分傷付いて麻痺して何も感じなかったはずの心は、周囲の人々の心ない言葉によってより一層鋭いナイフを突き立てられ、更に傷は深さを増した。
私は、何のためにここに在るの?
そんなフィンに一道の光を投じたのが、レイだった。
嫌な顔ひとつせずにフィンを引き取り・・・
そして、放っておいた。
フィンはその時自分など、本気でどうでも良かった。
だが
この魔術師は、更にその上を行っていたのだ。
自己管理の一切が出来ない・・・
いや、やる気がない。
やる気 ゼロ
何ならマイナスと言ってもいい。
フィンがここに来た4年前、一瞬、本当にここに人が住んでいるのか、と疑った。
国際魔術師協会がもて余していたフィンを厄介払いするため、騙したのではないかと。
屋敷の外も中も・・・廃墟のごとく、荒れ放題だった。
元々面倒見だけは良かったフィン。
この昼行灯の見事なまでのだらしなさがかえって幸いしたのだ。
フィンの闘いの始まりだった。
* * *
あの日の回想から現実に戻ると、師匠レイが心配そうにフィンを見ていた。
フィンはスープに目を落とした。冷めてしまっていた。
・・・いや、そう言えば最初から冷たいスープだったな。
「大丈夫ですか?顔色が良くないですよ。」
気遣わしげに言う師匠にフィンはいつも通り感情の乏しい口調で返した。
「人の心配より自分の心配をしたらいかがですか。私の記憶に間違いがなければ、報告書は確か今日までに提出のはずですよね。」
「うぐ。」
2週間前に大雨のせいで大きな土砂災害が起きた。
村ひとつが潰れたが、直前に察知して村人は全員隣村に避難させておいたため死傷者は出なかった。
後処理を現場に一番近い魔術師のレイが行ったので、一応国際魔術師協会本部に報告書を提出しなければならないのだ。
が、
この超面倒臭がり屋の魔術師は、まだ一行も書いていなかった。
別にお咎めを受けるのはレイだからいいのだが、仕事が遅らされる本部の人が可哀想なので急かしておく。
それに、
「報告書が終わったらお部屋を片付けて頂くんですからさっさとして下さい。」
「むうぅ。」
この怠惰な師匠は、放っておくと家中散らかしっぱなしにして、掃除もしないから立派な館はさながらお化け屋敷と化すのだ。
フィンがここに来た4年前もそうだった。
先にも述べたがもう一度繰り返して強調しておきたいくらい、本気で、人が住むところではないと思うほど、荒れ放題だったのだ。
しかもそれだけではなく、
注意していないと部屋に引きこもって(一体何をしているのやら)食事を取ることも見事に忘れる始末だ。
一度放っておいたら、5日部屋から出てこなかったため、さすがに不安になって覗いたらまだ生きていたので強制的に食べさせた。放置しておいたせいである日死体発見などと言うことになればさすがにマズい。
本人はその時初めて空腹に気付いたらしい。フィンは呆れてものが言えなかった。
そんな調子だからフィンはそれ以上落ち込んで自分の殻に閉じ籠っている暇がなくなった。
面倒見はいい方だし、基本的に綺麗好きなのだ。
手探りで道具を探し出し(と言うのは唯一知っていそうな魔術師が家内のものを本以外一切把握していなかったからなのだが)、少しずつ綺麗にして行って、
食事を作り、無理矢理食べさせ、洗濯をして、要らなさそうな物は(一応聞いてから)廃棄し、床や窓を磨き雑草をむしり、庭の一角を耕して菜園を拵えるまでした。
毎日朝から晩まで一人で体を動かしていれば、必然的にエネルギー補給のために食事の必要を強く感じるようになる訳で、本能の致すところとは言え食べられるのは嬉しかった。食欲が湧くのは半年ぶりだった。
それに、ただひたすら無心に屋敷内を磨いて回るのは体力を取り戻すのに有効だったし、疲れ果てるまで黙々と働くのは余計な事を考えずに済んで素晴らしいことだった。
近くの親切な村人は時々食べ物を分けてくれたり、畑の手入れの仕方を教えてくれたりした。
また、依頼の代金に無頓着なレイに代わって、乳牛や鶏などを貰うこともした。
そこで半年ぶりに、人付き合い、と言うものを思い出した。レイは読書とたまに仕事以外は何もしないから全てフィンがやるしかなかった。
卵は食べたり売ったり、ミルクでチーズやバターを作ったり。小さいころ母や祖母に習っておいて本当に良かった。
まだ12歳の子どもが懸命に働くのを見て助けてくれる隣人と言うのも有り難かった。やはり12歳では、知識も技術も限られていて分からないことがあったから。
朝早くから夜まで家事や農作業をこなして、とにかくはじめの一年は無我夢中だった。
忙しいのを幸いに、何も考えたくなかったから。
それでも時々疲れて、1人で泣く時もあった。あの悪夢を見て飛び起きる事も何度もあった。
いや、ある意味では泣けるようになったのは良いことだった。レイに引き取られる前の半年は涙すら流せなかったから。
レイはフィンを名目弟子として迎えてくれたが、はじめの1年はまるきりほったらかしにされた。
1人にしてそっとしておいてくれたと言えなくもない。
確かに、余計な気を遣われるよりは好きなようにさせてくれる方が良かったが、時々無性に寂しくなって泣きたくなった。
いや、それも良いことだ。
だって、『寂しい』と感じられるくらい、
心が戻ってきた証なのだから。