1-1-4 | 風の庵

1-1-4

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 レイはフィンを引き取った次の日から、ともするとフィンの存在を忘れたのではないかと思うくらい見事にフィンを構わず、1人部屋に引きこもって何かしていた。

 それが長年(一体何歳だ?)1人で暮らして来たために、人との交わり方を忘れていたせいだと気付いたのは大分後のことだ。
 仕事で以上人との関わりと言うものがほぼゼロに等しいのだ。

 レイは別にフィンを無視していた訳ではなかったし、穏和な性格なのでその気になれば幾らでも良好な人間関係は築ける。

 彼の場合は・・・
 そう、
 『忘れていた』だけなのだ。
 食事を忘れるのと同じレベル。

 家の中で会えばにこやかに挨拶するし、食事の時はきちんとお礼を述べる。

 ただ自分の世界に入り込んで周りが見えなくなりやすいだけ・・・

 フィンをないがしろにする心積もりは欠片もないのだ。

 だからある時フィンが台所で、いつも突然襲ってくる訳もない悲しさに囚われて泣いていた夜、
 偶然やって来た(腹が空いて食べ物を探しに来たらしい。空腹に自ら気付くことすら珍しいと言うのに)レイはフィンを見認めると、
 床に座り込んでいたフィンの隣に、黙って一緒に座って頭を撫ぜ、親が子にするように優しく抱き締めてくれた。

 今まで散々放置していたのに、当たり前のようにそうする魔術師にひどく驚いて・・・そして久方ぶりの温かい抱擁に、止まりかけていた涙がまたわっと溢れてきて、恥も外聞もなくわんわん泣いた。
 黙って胸を貸してくれたレイ。時々あやすようにぽんぽん、と軽く背を叩いてくれたレイ。

 本当はフィンのことなんかどうでも良くて、やっぱりここにも居場所はないんだとそう思っていたのに。

 可笑しい。矛盾しているのだ。確かに生きるも死ぬもどうでも良くて、周りが何だろうとどう思われようとどうでも良い、
 そう思っていたはずなのに、レイが気にかけてくれないことが寂しかったなんて。


 本当は、寂しかったんだ。

 たった1人で。
―――独りで、ひとりで、ヒトリデ

 悲しかったんだ。

 フィンにはもう、誰も――いなくて。



 レイはその時たった一言だけ、ぽそっと、独り言かと思うくらい聞き逃しそうなくらい小さく言った。

『私では…あなたの家族にはなれませんか。』


―――あなたは、もう独りではないんですよ



 次の日から、レイは少し散らかし度を抑えるようになった(とは言えフィンの基準からすれば100%の自信を持って落第点をあげられる)。
 フィンが届かないところや力の及ばない大工仕事・・・屋根の修復などもするようになった。

 相変わらずだらしないし、フィンの管理のお陰でかろうじて(レイの部屋以外は)綺麗を保っていられるのだが、あの夜以来、
 あの夜をきっかけに、少しずつレイとフィンは仲良くなった。

 互いを知るにつれて、フィンはこのぐうたら魔術師には何でもはっきり言わないと駄目だと悟り、がんがん叱るし(ストレス発散ではない・・・はず。多分)、レイもそれを当たり前のように受け入れているから一見どちらが上なのか分からないが・・・


 あれから4年が経った。
 今はもう、2人は信頼し合っていた。
 例え毎日情けない会話を繰り広げていても。
 言葉に表さなくとも、確かに“愛情”があった。


―――“家族”のように




 食休みの前に必ず書類を仕上げるよう念入りに釘を刺し、嫌そうに部屋へ戻った師匠の分も皿を下げて、フィンは洗い物を済ませた。

 エプロンで手を拭きながら2階へ行き、階段を上がって広い廊下の左端の階段をのぼる。3階に上がってすぐ右手にある部屋がフィンに与えられた部屋だ。

 壁際のベッドにぽすっと腰かける。
 ちなみにこれは初めからあったもので、高さのあるこの広いベッドは天蓋付きだ。
 初めは柔らかいベッドに慣れないばかりか、夜中に転げ落ちて何度もタンコブやアザを作った。

 目をあげれば反対側の壁にある鏡台(これも最初からあった)に自分の姿が映っている。

 少し癖のある亜麻色の髪は仮にも女だと言うのに肩ほどまでしかなく、鼻まで伸びた長い前髪が顔の左半分を覆っている。

 華奢な身体はこの数年で幾らか女性らしい柔らかみが出てきた。背は少しずつ伸びているがもうそろそろ止まりそうだ。

 薄茶色のスカートに亜麻色のシャツ、ベージュのエプロン。何とも地味な恰好だが、こんな田舎で身を飾る必要もなければ願望もない。労働のためには簡素かつ動きやすいことが重要だ。

 フィンはベッドをそろりと降りて、鏡に手を伸ばした。はしばみ色の感情に乏しい目が見返している。
 野良仕事や家事で細い手は荒れていた。

 その手で前髪をそっとかき分け、左半分をあらわにする。

 フィンは顔をしかめた。

 その左瞼から頬にかけて縦に長く2本、顎に1本傷跡がある。


 4年半前・・・フィンは後処理に来た役人にあれかれ聞かれて嫌なことを思い出させられた。生き残ったのはフィンだけだったから。
 火事も妖魔の仕業だったらしい。

 質問攻めにあって疲れて、村の外れに1人息を抜きに行った時のこと。
 茂みから突然妖魔が襲いかかってきて・・・その時に鋭い鉤爪で切り裂かれた。

 咄嗟に避けたつもりが、ガシュッと音がして・・・視界が赤く染まった。すぐ痛みが来なかったのは、あまりに怪我が酷いと、瞬間的に感覚が麻痺するかららしい。

 でもそれも短い間のことで、すぐに焼けつくような酷い痛みに襲われた。
 駆けつけた魔術師が助けなかったらあの時食い殺されていただろう。

 出血が酷くて傷も深くて、治癒の術で失明は免れたし顔半分の抉れた肉は何とかしてもらったが、あまりヒーリングに長けていない魔術師だったらしく、赤黒い痕が残ってしまった。


 指で痕をなぞる。
 わりかし可愛いと評されていたフィンの顔は3本の傷跡のせいで一気に醜くなった。

 あの後近くの村で暫く世話になったが、村人はフィンを見ると汚いものを見るかのような顔を(まあその通りなんだけど byフィン)しかめるか、哀れむような目を向けるかのどちらかだった。

 村長の家で偶然耳にした会話はフィンの心を凍らせた。

『見たか、あの顔?いくら元がいいったってアレじゃあ嫁の貰い手はまずないな!』
『このまま私らがずっと養わなけりゃいけないんだろう?一体私らがどんな悪いことをしたって言うんであんな厄介者を引き受けなきゃいけないんだ。』
『いっそ、奴隷商人にでも売っぱらったらどうだ、村長?お役人らが帰ったらさ。後で聞かれたらショックで病んで死んだとでも言えばいい。』


 恐ろしい光景を役人によって無理矢理思い起こさせられ、村人言葉に傷つけられ、2度殺されたも同然だった。

 こんなことなら死ねば良かったのだ。

 こんなことになるなら逃げなければ良かったのだ。


 村人の思惑に気付いた魔術師によって国際魔術師協会本部に連れて行かれたが、そこでも人々の反応は似たり寄ったりだった。

『こんなに小さくて可哀想に。まあ私には関係ないが。』
『酷い傷だ!見るに耐えん。せめて隠せばいものを!』
『これからどうなるんだろうな。まさかずっとここに置いておくのか?』
『見てごらんよ、にこりともしない。まるで人形だな。気味が悪い。』

 みんな勝手に憐れんで、そして自分に厄介者が押し付けられないようにと願った。

 協会幹部、12長老の中にさえそう言う人間がいた。あるいは全くの無関心か。

 ただ1人、協会本部長、老師と呼ばれる(つまりが世界中の魔術師のボスだ)人だけが“不幸で醜い孤児”フィンを哀れまず疎まず、ただ“フィン”として彼女を見た。
 
 初めて会った時は余りに若いので驚いた。見た目十代後半(実際は三桁行っていると後にレイから聞いた)、銀髪に珍しい紫の目の美少年は、フィンを対等に扱った。
 そしてその人がフィンがレイに引き取られるよう手配した。


 レイは老師と同じようにフィンを哀れまなかった。
 そもそも人の過去とか細かいことにこだわらないらしい。

 フィンの醜い傷跡を見ても眉ひとつ動かさず平然として、余計なことも一切聞かず言わず必要最低限しかしない人だった。

 要するに面倒臭がり屋だ。

 ちなみに口癖は「眠い」「面倒臭い」だ。




 4年。ただ生きていくことに必死で、短かったのか長かったのか分からない。
 自分と自己管理の出来ない師匠の世話で精一杯で、あの日の気持ちにじっくり向き合って、時間を取って心を整理することもなく4年の歳月が過ぎてしまった。

 今でもあの日のことは鮮明に思い出せるし、恐怖と悲しみ、怒りが消えた訳ではない。

 それなのに幾分昔より気持ちが落ち着いているのは、歳を重ねたせいか。馬鹿師匠の面倒を見るのに忙しくていちいち考えるのがアホらしいのか――

 もしかしてこれがレイの狙いだったり・・・しないか。

 あの、自分で落としたバナナの皮に滑って転ぶような人がそんな計算を出来るとはとても思えない。


 フィンは鏡から離れた。


 傷は、罰だ。

 皆を、弟を見捨てて逃げ、1人だけのうのうと生きている
 自分への。


 そうだった。
 私は生きている資格なんてないんだった。


 あの時・・・あの時村に戻ろうとしなければ・・・無理に山を降りようとしなければ
 大人しくリーの言うことを聞いて山の中にいたら、

 リーは、死なずに済んだ・・・

―――私が、リーを、殺した


 フィンは拳を握ってベッドにどすっと音を立てて降り下ろした。
 食いしばった歯がギリ・・・と音を立てる。

 そのままベッドに突っ伏した。


 私が・・・私が・・・・・・

 ワタシガ殺シタ


―――オマエガ コロシタ




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