9月14日・三連休の初日に浜松城へ行ってきました
浜松城の前身は、今川氏の配下 飯尾氏の治める引馬城(曳馬城)という平山城でした。引馬城は浜松城の北東に位置する東照宮のあたりに築かれていたといいます。
永禄11年(1568年)、三河から遠江へ侵攻した徳川家康は引馬城へ入城。元亀元年(1570年)には本拠地を岡崎から浜松へ移しました。このとき家康は引馬城を大改修し、浜松城と改めています。
そのわずか2年後、満を持して武田信玄が遠江へ侵攻してきます。快進撃を続ける武田軍と浜松城から出陣した徳川軍は三方ヶ原で激突。徳川軍は大敗し、家康は命からがら浜松城へ戻りました。
天正14年(1586年)、家康は新たに築城した駿府城へ移ります。さらに4年後、家康が関東へ移封されると浜松城には豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が入城しました。
浜松城の天守曲輪に天守を築いたのは、この堀尾氏であったと一般的に考えられています
途中、TATAZUMI珈琲さんで浜松城ブレンド・カフェモカを飲みました
ベンチにも浜松城が
本丸跡には若き日の徳川家康の像が立っています。
手にしているのは兜にあしらわれた歯朶です。
浜松城は天下統一を成し遂げた徳川家康の居城として知られ、家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。
江戸時代には歴代城主の多くが幕府の重役に出世したことから「出世城」とも呼ばれています。現在の天守閣は1958年(昭和33年)に再建されたものです。
天守曲輪の大手にあたる天守門です
両脇の石垣に、巨石(鏡石)が見られます
JAFカード提示で10%引きです
型の石があります
天守曲輪に井戸が残されています
かつては計10本もの井戸があったと伝わります
出世おみくじを引いてみました
明智光秀さまでした
心しらぬ 人は何とも 言はば言へ
身をも惜しまじ 名をも惜しまじ
【現代語訳】
私の本心を知らない人から何と言われようと構わない
この命も名誉もすべて惜しくない
・・・確かにそんな感じです当たってる
地下1階の井戸
水はなくて硬貨だらけでした
動画を撮っていて暑すぎて、展望台へ行くのを忘れていました
もう重症です
浜松城公園として整備された浜松城跡は、天守曲輪周辺に見どころが集中しています。天守曲輪にはかつての面影を残す野面積みの石垣が多数見られ、天守台の上に天守閣が再建されています。
天守閣内部には徳川家康と浜松城に関する資料や模型が展示されており、最上階は浜松市内を360度見渡せる展望台となっています。晴れた日には富士山もよく見えるそうです。
天守曲輪のもう一つの見どころが正門たる天守門です。天守門は発掘調査で発見された遺物を基に忠実に復元されているそうで、こちらも内部を観覧できます。
天守門の東、一段下がった本丸跡には徳川家康の銅像が立っています。かつては2棟の櫓が建ち、南に鉄門があったといいますが、残念ながら遺構は見られません。
記念メダルの販売機と刻印機はこちらの中にあります
続日本百名城のスタンプもこちらにあります
浜松城の記念メダルは金と銀の2種類あります
各600円です。となりには刻印機もあります。
お城風のトイレです
残念今日は土曜日
富士見櫓からの景色
残念雲多めです