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◆亀山城址◆

亀山城は、応永31年(1424年)に奥平貞俊によって築城された。貞俊は、天授年間(1375年~1380年)に現在の群馬県からこの地に移り住んで川尻城を築いた後、亀山城を築城してここに居城したとされている。その子孫は、この地で支配者としての地位を確立し、後に山家三方衆と呼ばれる有力土豪となった。16世紀になると、今川氏、松平氏、織田氏といった武将の配下を転々としながら、天正3年(1575年)に徳川方となって長篠城の城主となった奥平貞(信)昌の長篠の戦いでの功績により、奥平氏は歴史に名を残すこととなった。

存続期間については、応永年間から城主が長篠城へ変わる天正年間の時期と慶長7年(1602年)~15年(1610)年に奥平信昌の四男 松平忠明が城主となっている2時期が知られている。

 

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三河亀山城は道の駅つくで手作り村の近くにありますニコニコ音譜

 

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味彩館のハヤシライスカレー(850円)+コロッケと

勇気工房の五平餅(350円)と手作りこんにゃく(150円)を食べてきましたニコニコリンゴ

 

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番号は14番、元は五平餅の串だった?ものにいろんな方言が書いてありました。

ありがっさま飛び出すハート

 

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お城を登っていく途中でササユリが咲いていましたニコニコ音譜

 

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電柵で近くには寄れないけどひっそりと咲いていましたおねがいキラキラ

 

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登山道は整備されています走る人

 

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縄張りの様子

中心となる曲輪は丘陵頂部の東よりに位置し、東西60m、南北28mの楕円形を呈し、周囲は土塁で囲まれている北側は切岸となっており、この斜面途中には腰曲輪状の平坦部が認められる。南側は上部幅16m、堀底幅4mの大型の堀を配している。この堀は空堀で堀底道としても利用されていたものと思われる。虎口は東西2箇所に設けられ、東側の曲輪とはスロープ状、西側の曲輪とは土橋によって連絡している。

西側の曲輪は、土橋の前面に土塁状の高まりがあり、地形からコの字状に土塁があったものと考えられ、馬出しであったことが考えられる。さらに、西側下段や南側には腰曲輪状の平坦地が配され、さらに北西方向には南北に竪堀が延び、登城道への防備性が高い構造となっているおり、地形に即した土木工事が行われた縄張りであったことが考えられる。

毎年、5月の中旬の日曜日に火縄銃の演舞などを行う『古城まつり』が地元住民を中心にして、開催されている。

 

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この後、近所の小学生たちが先生と一緒に向こう側から歩いてきて

にぎやかだったのでそれ以上は散策しないで帰ってきましたひらめき

 

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