長篠城は、豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があります。
戦国時代末期の城であるため、現在、建物は残っておりませんが、一部残っている内堀と土塁が城の東側を守り、後方は合流する2つの川が堀として巧みに利用されている様子から、ここが天然の要害であったことがわかります。
長篠城は、永正5年(1508年)菅沼元成が築城し、天正3年(1575年)、徳川家康が奥平貞昌(信昌)を城主に任命し、城を守らせました。
もとよりこの城は、愛知県から長野県、静岡県北部、さらに山梨県へ通じる道中にあり、戦国時代、武田と徳川が拠点として奪いあった城でした。
戦いから約400年が経った現在、長篠城跡は四季折々のさまざまな姿を見せてくれます。
春は桜が美しく咲き誇り、桜吹雪が城跡を包みます。また、毎年5月5日の長篠合戦のぼりまつりでは、勇壮な合戦行列や火縄銃の実演が行われます。
夏は本丸の西を流れる矢沢川のせせらぎと不忍(しのばず)の滝が涼しい風を運びます。
秋には紅葉が、鳳来寺山もみじまつりより少し後の頃に、城跡を紅く染めます。
冬は城跡周辺の史跡探訪ウォーキングで、歴史を学びながら健康な身体づくりができます。
◆さかさ桑◆
長篠の落武者だったが武田勝頼が、民家の庭に杖をつきさしたら、そこから桑の芽が出たが、下方に向かってだけ伸びるので、さかさ桑 と名付けられた、という伝説の桑の木が、 JR長篠城駅 を出てすぐ右手にある。
4月には花が咲き、5月になると実が生る。
さかさ桑は、長篠城址史跡保存館 の駐車場の一角と、小松ヶ瀬 にもある。
展示館内は、「長篠の攻防」を次のようにしています。また、特別展示スペースでは、長篠城にゆかりの資料を常設、または特別展示を実施しています。
- 武田信玄の雄図
- 長篠のろう城
- 鳥居強右衛門の勇気
- 決戦の前夜
- 設楽原の決戦
- 長篠の戦いと鉄砲
- 戦いとその後
- 戦跡全体模型
- 参考品(鎧)
日本100名城No.46「長篠城」のスタンプは、長篠城址・史跡保存館1階自動販売機の横(館外)に設置しています。館外に設置しているので、保存館の開館時間外・休館日でも押印が可能です。
(台風接近時等、管理の都合上やむをえずスタンプを移動・格納する場合があります)
◆御手植えの松◆
大正7年(1918)3月17日、昭和天皇妃だった香淳皇后が娘時代に父親の久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王が豊橋の第15師団長をしていた時、親子3人で設楽原、長篠へ来た時に長篠城址で記念に植えたものです。
◆堅木植樹の碑◆
志賀重昂は、アメリカの「アラモの戦い」が「長篠の戦い」と大変似ていることに感激して、大正3年(1914年)、両国の勇士をたたえる詩文を刻んだ石碑をアラモ砦に献納しました。
平成2年(1990年)、アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ市にあるアラモ砦跡で、志賀重昂建碑75周年記念式が行われ、その席で日米親善交流の証として、志賀重昂の思いを長篠の地にも分けて移そうと、砦跡にそびえたライブオーク(樫の木)の種子がアラモ側から長篠に贈られました。種子は育苗の後平成4年(1992年)、長篠城跡に植樹され、記念碑が建てられました。