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愛知県 岡崎市康生町、徳川家康誕生の城、 岡崎城の本丸に鎮座する神社が 龍城神社(たつきじんじゃ)。明治9年に、  岡崎城三の丸にあった東照宮と 岡崎城本丸に遷座、本多忠勝を祭神とする映世神社を合祀し、築城時に龍が出現して龍ヶ城とした故事から 龍城神社としたもの

 

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岡崎公園:アラモの碑

 

 

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◆アラモの碑◆

この碑は、郷土岡崎出身の世界的地理学者志賀重昂(しがしげたか)氏が設立されたものです。
志賀重昂氏は、テキサス独立戦争アラモの戦いと、日本の三州長篠の戦いがよく似ていることに深い関心を寄せられました。アラモの砦から援兵を求め友軍の下に走った青年ボナムと長篠城を脱出し、岡崎城の家康公に危急を知らせた鳥居強右衛門の両者の「強い使命感に東西の別はない」と感動し建碑を思い立ち、岡崎の石と長篠の石を使って、自作の漢詩を彫刻し、大正3年(1914年)にサンアントニオ市アラモ砦史跡の一角に記念碑を設立されました。
また、同時に、ここ岡崎公園の地にもアラモの碑を建立されたものです。

 

 

針塚

◆針塚◆

毎年2月8日、岡崎和裁組合の方々が中心となり、この龍城神社で針供養祭が執り行われています。
私たち和服裁縫業を行う者意外にも、洋裁や針灸医、お医者さんなど針を使って仕事をしている方や、一般の方も参加されるそうです。一年間の針への感謝と、針の災いがないようにと神事が行われ、願う日です。

 

 

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『木の下に汁も膾(なます)も左久良(さくら)哉(かな) 芭蕉』

この句は元禄3年(1690)3月2日、伊賀上野の、風麦亭(ふうばくてい)で、服部土芳、小川風麦たちと興行した、八吟四十句の発句です。

「桜の木の下で花見をしていると、そこに花びらが落ち着く間もなく散ってきて、おかげで汁椀といわずナマスといわず、何もかもが花びらで一杯になってしまう。なんと豊かな花の一日であろうか。」という意味です。

ただ、この句は、岡崎市伊賀町ではなく、伊賀上野(三重県)の風麦亭で歌われた句なので、岡崎とは全く関係がありません。
句碑は明治13年(1880)3月の建立。石碑の書は、内田不賢(岡崎の書家で、さまざまな三河の石碑の書を書いている)という方が書きました。

 

 

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