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◆家康公・竹千代像ベンチ◆

徳川家康公はここ岡崎で生まれ、幾多の困難を乗り越え、天下統一を果たしました。
このベンチは「石都岡崎」と呼ばれる岡崎の優秀な石職人の技術と、地元産の良質な御影石を使い、造り上げられています。
家康公とこのベンチに座り、天下人を生んだ岡崎の魂を感じて下さい。

 

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◆清海掘◆

歴史的にも価値の高い空堀。
創築者西郷頼嗣(清海入道)の名から清海堀と呼ばれています。本丸北防衛のために設けられました。

 

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◆松平元康像◆

この元康像は平成4年(1992)に開催された「家康公生誕450年祭」の一環として、450年祭実行委員会が市内外から寄付を募って設置し、岡崎市へ寄贈したものです。
若き元康公(のちの家康公)の騎馬像は城を背にし、大権現として再生する日光東照宮の方角を向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康公が胸に秘めた国盗りの夢が生誕の地、岡崎の土中から盛り上がる様を表しています。

 

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◆徳川家康公像◆

家康公は、天文11年(1542)12月26日、岡崎公園内の坂谷の邸(現在の坂谷曲輪)で生まれました。
幼少のころは人質として岡崎を離れ自立した後は全国統一をめざし転戦を続けた。そして慶長5年(1600)に天下分目の関ケ原の合戦に大勝して、天下をおさめるに至りました。
以後持前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川幕政300年の基盤をつくり、元和2年(1616)4月17日に75歳でこの世を去りました。
この銅像は1965年、家康公350年祭を記念して建てたものです。

 

 

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◆本田平八郎忠勝公像◆

本多忠勝は徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に「家康に過ぎたるもの」「天下無双の勇士」と称賛された武将です。
この像は鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍蜻蛉切を携えています

 

 

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◆グレート家康公「葵」武将隊◆

「厭離穢土 欣求浄土」えんりえど ごんぐじょうど
平和を願う心は今も受け継がれ、私たち人類の永遠のテーマです。
悲願の天下統一を果たし、264年の長きに亘る泰平の世へと導いた徳川家康公
そして家康公を支えた徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)とその家臣たち。激動の平成の世に、この6人の戦国武将が、家康公のふるさと「岡崎」に甦りました。
現代のエコ社会にふさわしい紙製甲冑を身にまとい、来て!観て!一緒に踊る!来場者参加型のパフォーマンスが、グレート家康公「葵」武将隊の特徴です。
みなさまとのふれあいを大切にし、家康公や岡崎の魅力を広く発信しながら、家康公が生涯かけて願った「平和」を心に掲げ、時空を越えてその望みを伝えて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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◆からくり時計◆

大河ドラマ館(三河武士のやかた家康館)前の広場にある高さ約6mの時計塔
能を舞う家康公の人形が登場し見る人の心をなごませます。
毎時00分・30分に能を舞い、遺訓を語ります。

 

 

 

 

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