image

近江を制する者は天下を制す

古来より滋賀、近江は京の都へ行き来する要衝とされてきました。
戦国時代「近江を制する者は天下を制す」と言われたように、小谷城を攻め落とした織田信長、豊臣秀吉など、名だたる武将が戦いを繰り広げる舞台となっています。

 

北近江、戦国屈指の山城小谷城

小谷城が築かれた小谷山は、標高495mの急峻な山です。前面には虎御前山・山脇山・丁野山、西に高時川、背後には伊吹山系が控える自然の要害に囲まれた屈指の山城です。

城下には北陸と東海地方を結ぶ北国脇往還、そこから南には、東山道に通じる小谷道が分かれていました。 小谷城跡は、小谷山に深く切り込んだ清水谷(きよみずだに)とその両側の尾根、及び小谷山々頂大嶽(おおづく)にあり、その構造は、本丸を中心とする主郭と居館のあった清水谷、それらを守るように配置された出丸・金吾丸・大嶽城・月所丸・焼尾丸・福寿丸・山崎丸の独立した砦からなります

 

戦国大名 浅井氏

浅井氏は、北近江の守護大名京極氏の被官で、小谷城西麓の丁野(ようの)(現長浜市小谷丁野町)を本拠としていました。大永3年(1523)、浅井亮政らが 京極氏の跡目争いに乗じて国人一揆を起こしたのをきっかけとして、やがて主導権を 握り北近江を支配するようになります。
小谷城はこの頃築城されたのではないかと考えられます。

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

 

image

 

 

image