★メトロポリタン美術館の印象派‥モネ(5) | 新・駅から駅までウォーキング

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メトロポリタン美術館(8)‥印象派、
                 クロード・モネ(5)


私の好きなミステリと海外旅行

クロード・モネ
『夏のヴェトゥイユ』1880年



私の好きなミステリと海外旅行

クロード・モネ
『ヴェトゥイユ付近の花』1880年



私の好きなミステリと海外旅行

クロード・モネ
『ヴェトゥイユの眺望』1880年


★ちょっとひとこと


メトロポリタン美術館には30点以上のモネの絵が
所蔵されているが、その中からヴェトゥイユの風景を
描いた3作品をご紹介!


1870年、すでに息子のジャンを生んでいたカミーユと
入籍。
結婚を反対していた家族からの経済的支援は断たれた。
1871年にアルジャントゥイユに移り住む。


1872年にデュラン・リュエル画廊がモネの作品を
買ってくれるようになり、一時期生活は好転する。
この頃は家族を題材にした作品も見られ、多少安定
した生活がおくれていたようだ。
妻のカミーユの体調は少しずつ悪くなっていたが、
次男のミッシェルを生んだ。


その前後、パリの富豪エルネスト・オシュデの支援を
受けていたが、1877年オシュデが破産してしまう。
そこで家を失ったオシュデ一家と翌年ヴェトゥイユに
移り住む。

翌1879年カミーユ逝去。

2人の息子をかかえてモネも大変だったと思うが、
一緒に暮らしていたオシュデ家のアリス夫人が2家族
の主婦役をこなしてくれていたらしい。


1880年はヴェトゥイユでセーヌ河を描く。
上の3作品はその頃のもの。


1881年ずっと同居していたアリス夫人をめぐり、
オシュデとの関係が悪化し、モネはアリス夫人と
両方の子供たちを連れてポワシーに転居した。
そして1883年にあの終の棲家、ジヴェルニーに移った。

1891年にオシュデが亡くなったので、翌1892年に
アリスと正式に結婚した。


困窮を抱えたなかで、2家族が同じ家で一緒に暮らす。
そして片方の夫人は亡くなってしまう。
複雑な関係はこうして生まれた。


最初の妻カミーユは、ヴェトゥイユの教会の墓地で
眠っている。


モネとアリスはジヴェルニーの教会にある墓地で
眠っている。


メトロポリタン美術館(8)‥印象派、
              クロード・モネ(5)
2010.10.15

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