先日お伝えしました、ケーブルテレビの番組(コチラ) をご覧くださりました皆様、どうもありがとうございます。お蔭様で体験レッスンのお申し込みも増え、嬉しい年始となっています。
さて、衛藤公雄先生は生前「衛藤流は自分一代で良い」と仰っていましたことはこのブログでも以前触れました(コチラ 参照)。最近私はこの言葉の奥にある先生の御覚悟を感じることが出来たような気がしておりますので、今日はその話を書きたいと思います。
衛藤先生の足跡を辿るともともとは宮城道雄先生のお弟子でした。宮城先生の元でわずか14歳で師匠となり、その後当時としては珍しくジャズも演奏して、アメリカに渡って数々の業績も残されたという大変稀有な存在です。海外での演奏生活を終えられてご帰国後に生田衛藤流を創流されました。これは、自分の音楽が当時の音楽(特に邦楽)の時流とは離れたものになってしまっていたことと、だからこそ自分の音楽を「衛藤流」として残していくことの必要性を強く感じられたことが背景にあるのだろうと拝察しております。
伝統芸能をしっかりと修められらうえでもともとの伝統の世界から飛び出して、ご自分の芸を新たに確立された衛藤先生。先生ご自身はそうしたご自分の経験から、私たち弟子にも「衛藤流を越え、自身の芸を生み極めていく覚悟を持つ」ことを望まれたのではないか、と最近思うようになりました。それが「衛藤流は自分一代で良い」という言葉の真の意味ではないかと感じております。
つまり、かつて宮城先生の元から衛藤先生が創流したように、先生ご自身も弟子の芸がもし自分のそれを超えることができたときには、自分と対等の立場であることを認める(単なる継承者ではなく新たな家元として同レベルの立場であることを認める)のだというお気持ちがあったのではないでしょうか。そしてその時には対等に真摯に音楽に向き合いたい。お稽古時に大変厳しいだけでなく箏を弾く者の心の持ち方や普段の立ち居振る舞いにも大変に気を配る先生でしたので、このように考えると「衛藤流は自分一代で良い」という言葉に芸道への先生らしい「覚悟」を感じます。
写真は衛藤先生に頂いた大師範のお免状です。今思えば当時の私は本当に未熟で大師範の域には達していなかったと汗顔の至りです。ですから当時の衛藤先生は「頑張れ」との発奮材料としてお免状を下さったのだなと思います。そして今は「由布子ちゃん、早くこのお免状を越える音楽家に成ってください」と話しかけてくれているように感じています。