長周新聞が年頭に当たっての論説を掲載しましたのでまずは御紹介。-https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10506「金融資本の袋小路から人間主体の真っ当な社会へ -年頭にあたってのご挨拶ー」(長周新聞)ー年のはじめから長周新聞はエンジン全開のようで・・・。この論説で特筆すべき部分は2つ。まずは「この社会を支えているのは、日日勤労に生きている幾多の大衆であり、その生産労働がなければ社会のあらゆる機能が麻痺し、衣食住をまかなうことも、移動することもままならないのが現実です。収奪者も収奪する対象を失ったときには存在する根拠を失う関係です。金融資本がいなくても社会は構成員である人間の共同の労働によって存続できますが、労働がなくなれば社会を維持することはできません。人間の労働こそが古今東西の社会を支え、発展を促す原動力になってきたことはまぎれもない事実です。資本あっての労働ではなく、労働あっての資本であるという関係について、その歴史的な過程とも併せて曖昧にするわけにはいきません。現代資本主義の終末期に問われているのは、社会の主人公は寄生的な金融資本などではなく、日日の生産活動に従事している人間そのものであること、その暮らしをより豊かにする社会構造にしなければならないというものです。有り余ったカネをそのために使え!という単純明快なものです。」(第11パラグラフ) いつの時代も人口の多数派を占め、食料を生産し、文化の担い手になっていたのは名も無き民衆・大衆でした。その民衆・大衆の懐が寒くなると云うことはその国にとって危機的状況を齎します。そう云うことから今の日本の様に企業が大メディアのこれからは大競争メガ・コンペティション時代」「これからは能力主義の時代。年功賃金制の日本は社会主義などのプロパガンダに乗っかり成果主義や年俸制を導入したり、政府が大メディアのこれをやらないと国際競争力が落ちると云った最早聞き飽きた御題目や経済界のさもなくば企業の国外流出を招くと云う一体何処の駄々っ子だよと云いたくなる女々しい脅迫に屈して法人税を際限なく減税し、減税した分は消費税の限り無い増税で賄うことは愚かです!愚の骨頂です!今年こそこの亡国へ向う流れを止めなくてはなりません。

 もうひとつは「社会発展の桎梏になっている新自由主義のイデオロギーは、社会を金融資本の都合や願望に従わせるという身勝手なものであり、この社会の主体は人間ではなく資本であるという原理にほかなりません。そのためには、人間の生命がどうなろうが知ったことではないという残酷なものです。この主客転倒をひっくり返し、まともな社会にせよという要求を強めなければなりません。」(第13パラグラフ) これは最早如何なる立ち位置の人間でもーエゴイズム剥き出しの大企業、異常に増大した欲とさほど値打ちの無い己のメンツとを頼りに生きる政治屋、大企業のエゴとどす黒い政治屋の邪な主張を「学問」の衣で美しく飾り立てる芸当に長けた学者センセイを除いてー当然大きく頷くべき正論です。例え新自由主義に骨の髄まで染まっている産経や読売、日経の論説委員や編集委員にこの文章に対する意見なり批判を求めても内心は忌々しく思っていても表面上は適当に色よく、どっちつかずの曖昧な返答でお茶を濁すのが精一杯でしょう。改めて、我々は「左」と「右」と云う色分けは完全に過去の物で「上(=大企業とそいつ等とつるむ政治屋、新自由主義擁護の学者センセイや芸能人)」と「下(「上」に該当する者以外の新自由主義と闘う全ての人々)」の時代に突入したことが確認できた訳です。 

 最後に、平成31年、この御世代わりの啓示的な年を金融資本の野望を阻止し、民衆・大衆の懐が何時も温かく孤独も職場での理不尽な扱いとも無縁の労働はロボットに、人間は貴族にへと人類が歩み出す元年としたいものだ!