ようやく決算処理が終わった。


私が社長に就任してから初めての決算。

ウチの会社は非常に小さいので、経理担当はもちろん私。


それにしても税理士の先生にはお世話になった。

見よう見まねでこれまで帳簿をつけてきた私とひとりの社員の力不足を認識。

むしろこの数日間で私はかなり勉強させてもらった。


あと、会社経営をする上で財務会計に詳しいことは必須だと知らされた。

特に税金に関する知識は絶対に必要だ。


なんて、他の経営者の方々は当たり前だと考えていらっしゃると思う。

だから私が社長を語っていたのが今となっては恥辱である。


早速amazonで税金に関する本を購入。

読み終えていない本が山積みではあるが、これは今のうちに読むべしだと認識。


ちなみ、買ったのに読む時間がなくてウズウズしているやつらを紹介しよう。



ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

エリヤフ ゴールドラット, 三本木 亮


バブル再来

ハリー・S・デント・ジュニア, 神田 昌典, 飯岡 美紀


エクセレント・カンパニー

トム・ピーターズ, ロバート・ウォーターマン, 大前 研一


どれもこれでもか!というほど分厚い。

しばらくは読書にふける日々がといいたいが、仕事も同様に山積みじゃ。


最後になりましたが、税理士の先生には心より感謝いたします。

ほんと、私が無能なので気の毒に思います…。

社員たちがはたらかないのは自然なこと?


自分は社長。

自信だけではなく経験もある。

だから仕事がある程度能率よくできるのは当然なのかもしれない。


それにしても、それにしても。


社員たちはなぜあんなにモチベーションが低いんだ…


実はこのぼやき、私はオチを知っている。


そう、


モチベーションをあげられていない原因は社長。


そう。


そう。


うぅ…


そうなんだ、自分に原因がある。

もっと彼らのモチベーションをあげることをしなければいけない。


効果的にほめたりしかったり。

飲みにつれていくこともひとつの手段だろう。


キャバクラだって。


それだけでは無理だと思うけどね。


そう、あとははたらく意味を共有しなければいけない。


なぜはたらくのか?

誰のためにはたらくのか?


この究極的な問いを常に考え続けないといけないと思う。

少なくとも私は考えるようにしている。


しかし彼らにそうした考えを私は伝えられていない。

そう、明らかに伝えられていない。


いや、伝えようとしていないのではないか。


相手は年上である。

伝える前に自分からあきらめているのではないか。


「自分より経験の多い人に、まさか人生論を語るなんて…」


これは私の正直な気持ちだ。

しかし、人間には立場がある。

こんなことは誰も認めてはくれない。


この会社にも生きていく意味があるから。

この会社にも喜ばすべき人々がいるから。


どちらを選択するかなんてレベルの話ではない。


すべてはリンクしている。


彼らの生き方に口出しすることは決してできないが、彼らが会社の意味にコミットしないことは許さない。


コミットさせることは私の責務であり、使命だ。


そうでなければ、会社は社会を喜ばせることはできない。


あぁ


長々と書いていたら何を言いたいのかという的をはずしているように思う。


この辺でとめておこう。


つくづく、自分がスケールの小さい人間だと感じさせられる。


“一流”の習慣


一流の人には、一流の習慣がある。

私自身、将来勝ち組か負け組かと言われれば、当然勝ち組に入りたい。


とはいえ、黙って日々をすごすだけでは勝ち組にはなれないので、私なりの一流の習慣を挙げる。


人によってはなんじゃそりゃ、というものもあるだろうが、私にとっては立派な習慣である。


・一流の道具を使う

身の回りにある道具ひとつひとつに一流のものを使う。別にブランド物である必要はない。本当に上質な一品に囲まれること。具体的にはモンブランの筆記具、ボーズのスピーカー、キーボードはIBM(?)


・一流の人との付き合いを大事にする

自分と同じ年代の人間と仲良くすることは大前提だが、それだけでは足りない。仕事を通しての付き合いではなく、一流の人々と付き合う。一流の人とは自分にはないものを持っている人のこととしている。というのも、私が他人のことを何流だとか言える立場ではないからだ。


・一流の時間の使い方を考える

「時は金なり」とは実に有意義な言葉だ。目の前の10分をいかにすごすかに神経を研ぎ澄ます習慣をつけるようにしている。かなりスケールの小さい例だが、新宿から国立へ帰る際、500円を余分に支払って中央ライナーに乗ることに、この話の論点が詰まっている。


・全てを受け容れることから発想を始める。

自分の世界とは狭いものだ。相手の考え方は自分にとって新鮮であり、非難すべき点は原則としてありえない。彼の考えは彼の考えであり、私の考えは私のものだ。しかし、それもある一定の条件が整うと、共感、是正、対立をしなければならないことがある。しかし、自分の考えありきではせっかくの新しい発想を得られる機会を失う。他人の持つ発想を認めることを第一にし、その対処はその後のタイミングに応じて考える。


・自分は周囲の人々のおかげで成り立っていると信じ、周囲の人々に感謝をする。


・何のために生きているのかを考え続ける。


まだまだこんなもんじゃない。

ではまた

さて、このブログが始まって5ヶ月目に突入しています。


しかし、作者の正体は不明のまま。

(自分で言うな、というイメージが強いが…)


今、多くの社長のブログを読ませてもらっています。

社長さんによっては顔写真を出していたりいなかったり、色々いらっしゃいます。


そこには企業イメージやテレビなどでの露出度ともかかわりあるようです。


社長自身のイメージ戦略もあるのでしょう。

プロモーションの効果もあると思います。


私も一流になって堂々と顔を出す日が来るようにしたいものです。


先日、大事な経営者仲間のひとりにこんなことを質問された。


「お前自身の幸せの定義って何?」


キターーーーー。。っていう感じだった。

あまりにもベタだが、返答に困る自分がいた。


さらに恥ずかしくもこんな返答をしたのだ。


「50歳でリタイアして、あとはのんびり家庭菜園をしてすごす…」


対して、


「リタイアすることが幸せなのか?」

「家庭菜園なら今からでもできるじゃないか?」


まさにご明察であった。

たしかにそんな老後はイイナァなんて思うけど、それが幸せがと言われたら自分がちっちゃく感じた。

そんな追い込まれた状況で私の口から出た言葉がこれ。


「これまで学んだことで社会貢献しなきゃいけない。あと、それで目立ちたい。」


そう、目立ちたい、という本音が出たのだ。


目立ちたい。


よく考えれば、小学校の頃からクラスで目立ちたがりであった。

中学校でも高校でも変わらずであった。


自分の処世術だったのだ。


言葉だけ聞くと、へんなやつである。

目立ちたい。

ベタに、打たれるべき杭である。


だが、それが自分にとって幸せなのだ。

注目されていること。認められている実感。

言われてみれば快感だわ。


でも、ホリ○モンみたいにはなりたくないな。

日曜日は休みの日ではない。


経営者は時間の区切りがない。

いつどこにいても会社のことを考える。

拘束時間という発想はない。


アルバイト時代との大きな違いだ。


あくまで自分の時間は経営のための時間である。

逆に、業務をしている時間は自分のための時間である。


自分の同世代の友人でこういう考えをしているやつは今のところいない。

べつに良し悪しを論ずるつもりはないが、私はこういう考え方が好きだ。


なんか器がでかくなったような錯覚に浸れるから。

ようやく冬が終わりに差し掛かってきた。

毎年、真冬になると本当にこの寒さは和らぐのかと悩むものである。

それがいよいよ終わる。


春になると世の中もいろいろ動き出す。

進学や進級、入社によって多くの人との出会いが生まれる。

それだけではない、人々はその陽気に伴って、気持ちを一新する。


こんなにプラス思考になれるときはないのかもしれない。

何ごとも、なぜか上手くいくように感じるだけのパワーが春にはあるのでないか。

またやられた。

社員が辞めたいと言い出した。


しかも同じ社員に半年で2回目の告白。

あぁ、非常に情けない気分である。


しかし、そうも言ってられない。

私にとって社員は、たとえどんなに結果を残していないとしても、ミッションを実現するための同志なのだ。


私自身、営業がそれほどできるわけではなく、かといって財務知識が豊富なわけでもない。

私が社長であることのできる理由は、私とはたらく有能な社員やアルバイトのおかげである。

もちろん、そうした従業員をまとめることに対して妥協はしないし、むしろ全力を注いでいる。


中にはできる人間を改めて探せば良いという経営者もいるかもしれないが、私はそんな割り切ることができないのだ。この考え方が災いをよぶ結果に今後なるかもしれないが、それはそのときに直せばよい。

切羽詰れば、私ひとりで会社を運営すれば良い。


ただ、そんなことは考えたくもない。

なぜなら、従業員とはたらくのは好きだし、それによって自分が成長させてもらっている。

今はあくまでもミッション達成のためのプロセスにすぎない。

むしろ、話は始まったばかりで、本番はこれからである。


タイトルに『社長失格』と書いたが、別に自分はダメだと感じているわけではない。

失格になったからこそ、がんばってみても良いのではないだろうか。


トリノの散々な結果も、今後の日本での冬季スポーツ発展に帰依すればそれで良い。

女子カーリングの金星はさすがに感動した。

モーグル、ジャンプと二夜連続でオリンピック観戦で夜更かしである。


4年に一度の祭典。

なんともいえない雰囲気があると思う。

不思議なのは、日本の選手が登場すると自然と前のめりになる自分。


当然、日本にがんばって欲しい気持ちの現れだからそれで良い。

むしろ自分の愛国心の存在に毎回安心しているくらいである。


選手達には精一杯がんばっていただきたい。

日本の代表として、恥じないプレーをしていただきたい。


その点、モーグルはなかなか良かった。

里谷と上村は大技で成果を見せた。

確かに基本的なスピードとターンで点差をつけた欧米人もすごかったが、他国も圧倒するほどのエアは感動した。


あと、モーグルのミキティとジャンプの伊藤は8年後に期待。

何事も経験でしょ。まだまだ青いから。

たった今、ニュースレターを書いていました。

なのに、何を思ったか手元のコンセントタップ(?)のスイッチをオフしました。

消えました。


それはおいといて、


会社は畑。

会社の一番の財産である人材は、大輪の花を咲かせるひまわり。

その人材をまとめる上司は太陽。

皆に払う給料は水といったところ。

そして、事務所という環境は土壌。


こんなことを考えていました。

ひまわりは太陽に向かってそのくきを伸ばします。

花も太陽にむかって咲かせるそうですね。


太陽は時には燦燦と輝き、ひまわりに力を与えます。

でも時には雲の影に隠れてひまわりを見放すようにも見えます。

いつも照りつけるだけでは枯れてしまいますしね。


水は命の源。

これがなければ生きていけません。

しかしこの水も、ただたくさん与えるだけでは枯れてしまう。

それぞれのひまわりには、その花が咲くために必要な量が決まっている。

その量をきっちり守ってやることでひまわりは自ら水を蓄える力を強めます。


でも、このふたつが足りていてもカラカラにやせた土地には芽すら出ません。

そう、土壌にはたくさんの栄養が必要です。

今までに朽ちていった花もあります。

息絶えた虫たちもいます。

でも、そのおかげで新しい花に大きな力がみなぎるわけで。


これらどれが欠けてもひまわりは花を咲かせないでしょう。

たとえ促成栽培でビニールハウスに化学肥料をまいて花を咲かせても、私はなんかすっきりしない。

自然の中で、でも大切に育てられたひまわりが好きです。


今日も外は澄み切った青空。早く夏が来ないかな。