番外2 ψ 筆者作 「東方三賢人の礼拝」P12 油彩

✞ジョット作「東方三博士の礼拝」 フレスコ

もう40年以上前の話だ。ヨーロッパ宇宙機関は、かのハレー彗星探査のためのロケットを打ち上げた。周知のようにハレー彗星は76年周期で地球に大接近する。直近にそれが大接近したのは1986年、次は2061年となる。その探査機には「ジョット」という名前がつけられた。かの前期ルネサンスの画家ジョットの名である。ジョットは、1930年頃上掲拙作の画題と同趣旨の画題の絵を描いている。同画題の絵は他の古典絵画にも多く見られ、聖母子像や受胎告知と同じく古典絵画の主要モティーフであった。ジョット作の「東方三博士の礼拝」(訳の違いにより異なるが同じ主題である)は、現在ヴェネツィアの隣街パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にある。素材はフレスコ。注目すべきは、この作品の上部の空に描かれている尾を引く火球のような星である。
聖書マタイ伝では、かの東方三賢人がキリスト生誕を拝礼するため、星に導かれてベツレヘムの聖母子のもとへ至ったと書かれている。この星は「ベツレヘムの星」と呼ばれ、アメリカのR・オルソンという美術史家は、この「ベツレヘムの星」はハレー彗星であると推論した。さらに、この絵が描かれたのが1305年頃、その年近くはハレー彗星が大接近しており、パドヴァという知的に進んだ土地柄、自然の観測に関心があるジョットは間違いなくそのハレー彗星を見ており、ベツレヘムの星たるそれを絵に描き込んだというのだ。これがかの探査機にジョットという名前がつけられた由来である。
ただこの推論には更にキリスト生誕時にハレー彗星が大接近していたということの証明が欲しい。キリストの生誕年は諸説あり曖昧なところがある。ハレー彗星は長い尾を引いた星であり、その形はいかにも一定方向を指し示しているかのようであり、「ベツレヘムへ導いた星」という聖書の記述も説得力がある。これを信じれば、逆にハレー彗星が現れた時がキリストが生まれた時だということもいえるだろう。流行りの最新鋭コンピューターを使って76年周期を遡れば、ジョットがハレー彗星を見たかどうか、キリストが本当はいつ生まれたかは弾き出すことができるかも知れない。いずれにしろこれらは、科学、宗教、芸術にまたがる壮大なロマン溢れる話だ。
なお、拙作「東方三賢人の礼拝」は場面的リアリティを求め、敢えて目鼻を描かない人物集合体を暗い舞台に置くという手法をとった。聖母の青いマントと赤のキトンは図像学的規定を踏襲、上方の星は上記因縁通り。