Ψ筆者作「リュクサンブール公園」 F20 油彩

 筆者は今回のウクライナの件では「絶対平和主義」に立って、ウクライナがNATOに入らないということを宣言すべきと考える。欧米や日本はそうではない。明らかに政治主義である。武器を援助しロシアを追い詰めるというのは、口とは裏腹な戦争継続、拡大も辞さずという姿勢である。その先にあるのが核戦争であり、下手をすれば地球滅亡である

 ロシアは、現実に、NATOの東方拡大はロシアにとって脅威であるので認められないと言う「自国防衛」の論理でウクライナの国家主権を超越する行動をとったが、欧米、日本はその主張は当然認めていない。

 先に中国・香港・台湾問題について述べたが、先ず、台湾は、日米、国連、世界の多くの国が国家として承認していない。つまり、「国家主権」は認められていないのである。従って、もし中国が台湾へ武力侵攻した場合、ウクライナの場合と違って、国連憲章違反の、独立と国家主権の侵害は主張できない。台湾、香港、チベット、ウイグル等は、国家でないので当然である。そこで日米が持ち出して中国を牽制しているのが、「人権と民主主義」という国家主権を超越した理念である。つまり、ウクライナの件と台湾等の件では、この国家主権とそれを超越する理念についての次元は一貫していない。

 そこで日米に昨今の見られるのが、その事実上、台湾を国家として認め、主権を与えようとする動きである。そうすれば、もし中国の侵攻があったらウクライナと同じ主張ができる。当然それは、今まで日米とも認めてなかった「二つの中国」を認めるということになり、今度は中国が自らの国家主権侵害を主張し黙っているはずがない。そこでも戦争の危険がある。

 つまり、国家間、陣営間の争いとは、その都度言い分の辻褄合わせや我田引水、ご都合主義等でどのようにも論理を捻じ曲げられる、つまり再三述べたが、それは現象のいい加減さ、政治主義の虚しさの所産であり、確実に言えることは、その間多くの犠牲者が出るということは歴史が既に証明しているということである。

 「絶対平和主義」とは決して理想論ではなく、絵に描いた餅ではない。

以下は1928年、パリで調印された「不戦条約」である。趣旨は国際紛争を解決のため戦争に訴えることをせず、国の政策の手段としての戦争を抛棄するということである。それは我が国の憲法9条の精神に他ならない。実に100年以上も前に創られた、期限の定めなく今日にも有効な、日本を含めた世界中が誓った志高いものである。

 【不戦条約第一条

締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家政策手段トシテノ戦争抛棄スルコトヲ其ノ各自人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル

【同第二条】

締約国ハ相互間ニ起キルコトアルベキ一切丿紛争又ハ紛議ハ其丿性質又ハ起因丿如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ル丿外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

【日本国憲法9条1項】

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 【同条第2項】

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。