当稿のテーマたる「現象と本質」に因み、前回末尾に述べた「色即是空」の「色」とは、直接的には人間の肉体を含めた「物質」のことだが、「現象世界」は物質の集合体でありその運動なので、現象一切を指すと考えられる。それは「空(くう)」即ち虚しいものだと言う。筆者は長く絵画という、文字通り色(いろ)の世界に生きてきたので、その意味で直ちに受け入れ難い文言であるが、昨今その色即是空を切実に感じるようになった。
その「現象」について、先の稿で、内外の政治・経済から家族をその最小単位とする「社会」に至るまで諸々あげた。「文化」は本来人間の原存在に直接働きかけるものであるが、昨今の、その力をもたない、流行りもの、商業主義に支配されているものは現象に他ならない。この文化については、別途整理する要があろう。
古今東西の先達は遠の昔にそのことを看破し、多くの金言を遺している。筆者座右のそれをランダムにあげつらえば、【驕れる者久しからず…ひとえに風の前の塵に同じ…春の夜の夢のごとし、行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、人間五十年下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり、さよならだけが人生だ…】等は現象の儚さ虚しさを語ったものである。勿論それらのメッセージはそれだけで終わるものではない。「だからこそ…」という提言も読み取るべきであろう。
「歴史」もその限りでは現象や因果の積み重ねである。しかし、その教えるところを読み取ることにより、歴史の真実や事の本質に近づくことができる。「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉がある。ならば歴史とは勝者の作ったものの評価体系に他ならない。言い換えればそれは「事実」を語るものだが「真実」を必ずしも語ったものではない。