Ψ筆者作「ゴルド」 F120 油彩

 《四苦八苦》とは、「生病老死」という四苦に加え、1.愛別離苦(愛するものと別れる、あるいは失う)2.怨憎会苦(嫌な人間、嫌悪する人種と出遭わなければならない)3.求不得苦(欲しいものが手に入らない)4.五蘊盛苦(心身が思うようにいかない)と言う四苦、計八苦を指す、人間・人生に係る釈迦が悟った説である。

つまり、釈迦の見解によれば、人の世は苦しみに満ちている、人は生まれた時から苦しみの坩堝に放り込まれた存在であると言うことらしい。
 筆者は仏教徒でもないし、それをまともに勉強したわけでもないが、この教えは実に本質を突いたものと思える。つまり、それは、人間とか人生とかに係る「真理」である。畏るべきは、二千余年の遥けき時を隔てたその真理が、今日尚生きているということである。それは、時代や住んでいる場所がいくら変わろうとも、人の価値観や生活様式が変わったように見えても、その本質は変わっていないということに他ならない。 
 そこでは「生」さえも「苦しみ」のうちに含まれるのである。しかし人は、生まれてきた意義や喜びは、その「生」の中にしか見い出し得ない。それがもし見出し得ないとすれば、文字通り人生は「四苦八苦」、苦しみだけでしか満たされていないということになる。もしそうなら、「死」はそういう苦しい人生から解放されることだし、恐れる必要などない。しかし人は死を恐れ、例え苦しい人生でも出来るだけ長く留まりたいことを願う。これはどういうことか!ではどうすれなよいか?…などとひとたびは考えるが、釈迦が菩提樹の下で鎮座瞑想してやっと悟ったようなこと、キリストやムハンマドが2000余年も前から語り続け、しかしそれぞれ今なおはっきりした解決策や回答が出ないようなことが、日夜「四苦八苦」に翻弄されている凡俗なる我が身にできるはずがない。しかし「我思う故に我在り」、思う限り存在できる。