Ψ筆者作「暮れ泥無む街」 F6 油彩

 話はやや飛躍するが、筆者にも掠る程の縁ある佐賀鍋島藩に「葉隠」という教義がある。その中でとくに有名な文言が《武士道といふは死ぬことと見つけたり》と言う一節である。それは、「お家」→「国家」、主従関係→「忠君愛国・滅私奉公」と繋がることにより 、戦時国策のプロパガンダとしていいように曲解され喧伝され、昨今跳梁跋扈する右翼保守陣営の大うその「日本・日本人精神論」にも使われることとなった。そもそも「武士道」の武士とはかの時代においては、農漁民、商工業者を含めた人口比率においては圧倒的に少数派であり、近代軍国主義の時代では存在の実体すらない。 「国民性」を言うなら圧倒的多数の「百姓・町人」を基準にすべきで、一握りの世界にしか適用されなかった教義を、「やまとおのこ」、「もののふ」などとおだてあげ、戦争に駆り出すための日本人全体の精神論かのようにしたのだから甚だしいご都合主義と言えよう。因みに「侍ジャパン」とか「なでしこジャパン」などと言うのも、フィーリングだけの、迂闊で軽佻浮薄なものに聞こえる。葉隠が語る精神論は、そのような単純、矮小なものではなく、≪「生死一致」により生死を超越した至上の価値に生きよ≫ という大義に関することなのである。

 葉隠の大義は「お家」、「忠君」に係るが、それを「芸術的価値」に変え、《「芸道」といふは死ぬことと見つけたり》と読み替えれば、分かりやすく、古今東西、実績を残した数多の先達の正にそのような生涯を納得をもって想起できる。これも「生死一致」である。先のカラバッジョ、ゴッホ、モディリアニ、佐伯祐三、青木繁、村山槐多…次から次に思い浮かべるとともに現代にそのような芸術家がいるだろうかとも思う。ウソ、ハッタリを弄し、時代に迎合し、評判栄達を求め、現象の因果に翻弄され、結果精神と時間を徒費する……芸術の精髄に達するにはその種の世俗に苛なまれた自我を空しくし、純粋にその奥義に正対し、「命懸け」の切磋琢磨しなければならない。これが「死ぬこと」であり、その道に生きることである。そして本当に死んだ場合、それは事の完成となる。

 

 「生死一致」の死生観とは、何も芸道だ武士道だと言う、特別な世界のみに適用されるものではなく、昨今の高齢化社会における「老・病・死」という不可避のテーマにも、一つの「救済的」回答を与えるように思う。少々古いが、「船頭小唄」という歌の中に《死ぬも生きるもねえお前、水の流れに何変わろ…》と詩人野口雨情作詞のフレーズがある。あるいは井伏鱒二の「さよならだけが人生だ…」もそうだ。これらは、日本的無常観を底流に置き、 生と死をはっきり分けるのではなく、その半透明の混沌の中に人生や運命を預託しつつ、その中で自らの価値を求めるという 思想である。 これは、愛、友情、信頼、希望、努力、根性、家族の絆、「頑張ろう〇〇」…etcと言った、「白樺派」風の、「生」を積極的に受け止め、人生を前向きの生きるという思想の対極にあるものであり、そういう立場からは否定されるものであろう。そうしたものを信じるというのなら大変結構なことであり、全うし幸福な人生を送ったというなら慶祝の至りである。しかし、そのような 最大公約数的スローガンは概ね底が浅く、結果も見え透いていたり、時に胡散臭く、裏切られる場合も多い。それに、どう転んでも人間が間違いなく最後に持たされる思想は「諦念」である。ならば早めに来るべき時の準備をしていた方が後悔はなかろう。

(つづく)