Ψ筆者作「ヴェッキオ橋」 SM 油彩

「民を植える」のが本来の植民地の意味である。日本はまさしく民を植える植民地経営をする。それはモノカネをばらまくほど余裕のあるものではない。資源は乏しく、経済も行き詰まり、都市も農村も貧しく、その打開のため大陸や南米への移住が計られた。そんな中、他の列強がそうするように、先ずやったのが植民地経営を正当化すための「既成事実」の積み上げ、「植えつけられた民」の利便とその国の民の歓心のため、インフラや社会諸制度の整備をする。右翼陣営、歴史修正主義者のいう、あれもこれもしてやった、というのはこれである。それを須らく感謝する故「親日」となるいうなら、同じことをした中国や韓国は何故「反日」なのか?ここでも都合の良い部分だけつまみ食いしているに過ぎない。

元文部大臣の奥野誠亮は以下の発言をしている。「「創氏改名」は強制したものではない。朝鮮人自らが自発的に行ったものである。自分はその窓口だったので間違いない」
これも本質的視点を欠いたご都合主義である。当時朝鮮半島を支配していたのは日本である。そうしなけければ就学や就職、その他社会諸制度を受けるに当って不利となるならそれは強制と同じではないか。
慰安婦問題では、日本支配地域全域に公設慰安所が設けられ、現地の婦女に日本軍のシモの世話をさせていた、それは、その国の婦女の人権や尊厳に対する罪、その国や国民のメンタリティーやアイデンティティ蹂躙の罪は戦争の罪以外の何ものでもない。それを朝日新聞の件のように強姦(強制連行)か和姦(金品による補償)かの問題に矮小化するべきではない。どの国もやっているとか、兵隊は明日知れぬ命云々など別の問題だし、それも戦争の罪として捉えるべきである。カネを払ったから文句言うなは通らない。
 
 徴用工の問題も同じ根を持つ。前述の通り、植民地経営と戦争完遂のため物資、金、労働力の確保は至上の命題となった。国家総動員法や各種徴用法を盾に内外の労働力の確保に努めた。そこで徴用された者は日本人を含めて450~600万と言われている。冷静に考えれば、「国家非常時」、それが個人の意思尊重裡に平穏に行われていたとは考えにくい。以下は日本の役人の手紙である。「出動は全く拉致同様な状態である。それは、もし事前においてこれを知らせれば、皆逃亡するからである。そこで、夜警、誘い出し、その他各種の方策を講じて、人的略奪拉致の事例が多くなるのである。」(内務省嘱託 小暮泰用から内務省管理局長宛て 1944年7月31日)
徴用工については、敗戦時その雇用名簿等後々不利な証拠となる記録は意図的に廃棄された。したがって、「徴用工」ではなかったとの解釈などで除かれた者の扱いを含め賠償請求権の存否が問われるべきである。(つづく)