Ψ筆者作「上流の渡し」 F10 油彩
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 以下は本年3月15日付の新聞記事からの引用である。
≪…米国女性作家ノーマ・コーネット・マレックさんが幼くして事故死した長男に捧げた詩で1989年に発表した。広まったきっかっけは2001年に米ニューヨークで起きた同時多発テロ事件。ビル崩壊の現場で救出作業中に亡くなった消防士が、手帳に書き残していたことからネット上で世界中に拡散し、追悼集会でも朗読された。…中略…新たに今回書き下ろされCDになったきっかけは、クミコさんの知人である音楽プロデューサ―が譜面を携え「あなたに歌ってほしい」と頼んだことだった≫。そして最後に歌手クミコの言として「悲しみの中でも希望を見出し、生きていこうという歌。家族、恋人、友人…。あなたの大切な人を思い浮かべ聴いてほしい」とある。そして、この詩の訳者も原発被災地富岡町で英語学校を経営、歌手も石巻で震災に遭い。その後被災地に寄り添うようにかの地で音楽活動しているという、3.11」と因縁を持つとの記述もある。
 つまりこれは、「実際起こった不慮の事故、9・11.3・11、これらを背景に、先の見えない現実の中での個人生命の儚さ、それ故に愛する者と日々過ごす時間の貴重さ…」をテーマとした「メッセージソング」であると受け止められる。そして記事全体の調子からは誰が見てもそれは、今日ただ今プロデュースされ、新譜としてプレゼンされた、そういう話題性故に新聞記事が初めて取り上げたもののように見える。
 事実を言おう。これは9年も前に筆者の同級生、パリコレのスーパーモデル「秀香」によって、件の「いわく因縁」込みでリリースされたものである。3・11もその後のことである。
 「焼き直し」や「リメイク」は音楽業界ではよくやることなので文句を言うつもりはない。また、その世界は「個人」が生き馬の目を抜くように無視される厳しい世界かもしれない。しかし、真摯なそのメッセージ性もそのまま流用されてよいものか?!誰でも世に伝えたいものがあるし、伝えられないもどかしさもある。しかし、それがが真摯なものであるであればあるほど純粋で慎重であるべきだ。少なくとも業界のご都合主義や商業主義を感じさせたり、マスコミの無知無神経を感じさせるようなものの上に立つメッセージほど胡散臭いものはない。