Ψ筆者作「オワーズ川・金糸(やどりぎ) F4 油彩
イメージ 1
 セーヌ支流のオワーズ川に沿った二つの町は美術史上重要な舞台となった。一つは言うまでもなくオーヴェール・シュル・オワーズである。オーヴェールは周知のようにゴッホ終焉の地。ゴッホの描いた教会も麦畑も、テオと一緒に眠る墓も、セザンヌの描いた「首吊りの家」もそのまま残っている。ラブ亭のゴッホの部屋は、これがあの美術史上の主情派の巨魁の部屋かと思うほど小さく、銃創を抱えヨロヨロ上ったであろう階段も狭く暗く、その天才の過酷な人生に絶句するほどだ。
 オーヴェールは本邦美術史上でも重要な因縁を持つ。かの佐伯祐三がヴラマンクにより「このアカデミズム!」の洗礼を受け、今日評価のある佐伯の造形性が展開していった契機となったのもここが舞台であった。因みに一部評伝で誤解されているが、佐伯はヴラマンクの弟子ではない。ヴラマンクの弟子は佐伯を紹介した里見勝蔵であり、里見はフォーヴであるが、佐伯はフォーヴでなない。なにより当時のヴラマンクはフォーヴからは離れていた。
 ところでオーヴェールを訪れた際、これからゴッホの「主治医」ガッシェ博士の家へ行きたいが知らないかという、若い一人旅の韓国人の女性と出遭ったが、いったん別れたが帰りに駅でまた遭った。オーヴェールはそんな狭い街だが、美術史上のドラマに満ちている。かの女性とは隣町のポントワーズまで一緒だったが、そのポントワーズも印象派と縁あるところ。ピサロが住みセザンヌらが訪れた。
 そのポントワーズでイーゼルを立てたが、ふと見上げた空に浮かぶちぎれ雲が、綺麗に空のパースペクティヴを示すように並んでおり、思わず「アッ、ピサロやシスレ―の描いた雲だ!」と呟いた。川を行く船で緩やかな時間の経過を感ずる、100年前もかくやとの感慨を持たされる風景だった。
 なお、画題については、昔、車窓から木立に沿って丸いものが連綿と続いているのを見た時は、はじめ鳥の巣かと思ったが、「金糸」というヨーロッパではよく見かける「やどりぎ」のことで、特別画題が無いので付け加えた。