Ψ筆者作上「古代の丘より」 規格外 油彩
中「コロッセオ2」 F15 油彩
下 先達の作品群(画集より)



左上がヴァランシェンヌの「コロセウムの眺め」(1782~1784頃)、左下がミシャロンの同画題作(1819)、右がコローの同画題作(1826)であり、いずれもルーブルにある。コローのはよく知られた作であり筆者も知っていたが、これらはパラティーノの丘、ファルネーゼ庭園の高台から見下ろしたものである。因みにコローは逆方向の「フォロ・ロマノ」も描いているが、既掲拙作において描き入れた同じ建造物が描かれている。
コロッセオ自体は今風に言えば5~6階建ての建物で高台からは頭の二階部分しか見えない。拙作二点もその高台からの視点で、見ての通りごった返す観光客とその整理用の柵を除けば、当代の風景のままである。そしてそれは紀元前の古代ローマ帝国から続いていた光景であり、太陽光線も吹く風も当然古代のままである。
つまり、眼前には時間の存在しない空間があるだけで、一瞬の存在でしかない我が身も、その空間を通じ「永遠」の形相を垣間見ることができる。実はこのことは、芸術にも通ずるもので、ルーブルやオルセを歩けばその時空を超越した永遠の価値を実感させられるのである。
それにしても、さしたる反対運動もなく、お江戸日本橋の上に高速道路をかけるがごとき感覚は最早恐怖だが、時代迎合や悪しき伝統・因習、諸々の社会性に取り込まれて良しとする本邦の「文化・芸術」にも希望はない。