Ψ筆者作「パリ・シテ」 F15 油彩 
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島崎藤村に戻れば、現実とイマジネーションの関係に関し、前二者と同じく過酷な現実との戦いがあった。藤村は1899年に結婚し翌年には長女が生まれる。しかし、その後約十年の間に妻と娘三人を相次いで失う。この喪失感と悲しみ、残された者の孤独感は如何ばかりかと思う。
 それより先父や姉は狂死する。その父にも母にもインモラルな性的過去があり、これら現実は藤村の前半生に大きな影を落とす。
 その過程で藤村自身も常識的には許されない過ちを犯す。姪のこま子を妊娠させてしまうのである。それら何でも有りの異様な現実の中に藤村のイマジネーションの特殊性があるように思われる。
 1913年、藤村は姪とのスキャンダルから逃れるように渡仏する。初めパリに滞在するが、第一次世界大戦の混乱を避け、さらに内陸部の田舎町リモージュに移る。 
 その外地で藤村は激しく望郷する。「…世界を旅するのは自分を見つけに行くようなものだ一刻も早く家に帰り、樹蔭のテントのような明るく楽しい屋根の下で、足でも投げ出し一坪の土地、一株の植木なりともそれを自分のものとして楽しみたい…」と言う心情を吐露する。
さて、先に述べた「椰子の実」の詩は以下である。
 
《名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れ汝れはそも波に幾月
(もと)の木は生(お)いや茂れる枝はなお影をやなせる
我もまた渚を枕孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
海の日の沈むを見れば激(たぎ)り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々いずれの日にか国に帰らん》
(つづく)