Ψ筆者作「緑陰ロワール川」 F6 油彩

以下は当ブログ拙文別稿の一節である。
《一年前の今頃、愛猫が厄介な病に罹った。「乳腺腫」、ほとんどが悪性と言う。絶対治してやる!一緒に寝ながらそう言った。以来闘いが始まった。「切るべきか切らざるべきか」、切ったら転移の可能性は高い。しかし切らなければ…、獣医とはインフォームドコンセントを重ね、セカンドオピニオンのようなこともやった。がんの性質を知るため本も二冊読んだ。がん細胞が浸潤して傷口ができたので、うわっぱり(腹帯)を作る裁縫を夜なべして慣れない手つきで作ったし、毎晩膿で汚れた腹帯を入浴時に洗った。… これほど一生懸命、自分の親にもやったことないようなことをやったのだから治らなければならない、絶対治ると思ったが一年後総ては徒労に終わった。…》
上記にある本二冊とは、例の「がんとは戦うな」シリーズの近藤誠医師の著作である。
近親者や自らのことも考えるとガンは他人事ではないし、そういう情報には無関心でいられるはずもないが、もとより筆者は医学には素人であるので、近藤医師の主張の如何や筆者が得た認識が正しいかは保証の限りではないが、ともかく以下の様なものと解釈した。
《癌には「本物」と「癌もどき」の二種がある。本物は「早期発見」と言われるものでも細胞レベルでは既に成長したものであり、生まれた時から血液やリンパ液に乗って転移し始めている。しかし癌の多くは「もどき」で、これは転移せず人を殺す能力はない。前者は何をやってもダメ、後者は放置しても良い。つまりどっち転んでも「癌とは戦うな」ということになる。問題はその間の手術や抗がん剤などで不要な刺激を与えて細胞を「暴れ」させたり、検査や薬の副作用による悪影響の方。これが死期を早めることになる。つまり人は癌そのものではなく「癌の治療」で殺されるのである。》
猫の癌なのに人間のそれの対処法を云々するのは如何かと思われるかもしれないが、近藤医師は、自ら「セカンドオピニオン外来」を設け、時にペットの相談もしているし、そもそも医学の進歩はマウス等「動物実験」から始まっているのではないか!
猫の主治医からも、切ったり細胞診自体に大きなリスクがあると言われたり、同病の別の猫で、患部が固まり瘡蓋化しているのを見せられ、そうなる希望を持ったりしたので、結局何もしないことにした。発病以来一年、その間傷口はふさがらなかったが、最後の数日まで、長期に具合が悪いという状態が続くことこともなく元気だったし、別の獣医が「よくもった」と言うごとく、寿命に比し、その一年は長かったような気もするが、ともかくも、大きな悔しさと喪失感は残り、「早期の避妊手術は乳腺種のリスクを下げる」というのも当てにならない能書きに思えた。
さて問題は、近藤医師の説の如何である。一体自分や近親者が癌になった時、彼の言う通り、「何もしない」などということができるだろうか?この理論が本当だとしたら常識を覆すような大問題と思うのだが、体系的な反論は未だ聞かない。