Ψ筆者作「ドゥォーモとヴェッキオ橋」 不定形 油彩

額縁の話
額縁の本来の意義とは、「「ルーズな四辺をキチッと仕切り、作品を浮き立たせる」というところにある。だから論理的にはフレーム額でよいのだ。ところが、装飾に凝ったような、美麗な額縁に作品を入れると、もっともらしい豪華な体裁を帯びることになる。だからそういう額縁は、「看板と勲章に額縁つけて高値で売るようなハッタリ市場」には必須のものとなる。
一方、ヨーロッパの美術館などにある額縁は、古色蒼然さと繊細華麗さが霊を帯びたような、本当の意味の美しさがあるが、入れられている作品も額縁に決して負けることはなく、あくまでも絵画と額縁の主従関係は明瞭である。そうでないものは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」のようなことも起こる。
以前そういう意味で作品そのものの如何を問いたいとの思いで、ほとんどが額縁を付けない作品の表示をやったことがあるが、冒頭の本来の意義も排除されてしまうので、やはり展覧会場での収まり具合は良くなかった。
ではどうしたらよいか?最近は美術館でもガラスやアクリル板を嵌めたものも増えたが、本来はそれらのないフレーム額だった。したがって、ガラスも装飾も、その分の余分なスペースもいらない、中古乃至はアンティーク仕上げのフレーム額で、それなりの味わいがあれば十分だ。
そういうわけで最近その種の額を探す「骨董趣味」が身についた。展覧会は目的ではない。時に、特殊ニスやマティエール加工でアンティーク処理した自作を入れることもある。
最近得たものは100年前と50年前のもの、ヨーロッパ19世紀の絵画を収めたものその他、わざとアンティーク加工した最近のものもあるが、本当に古い、リサイクル店経由のものもある。勿論それなりの傷、剥げ落ち、破損を伴うが、勿怪の幸いということもある。100年前のとは、額の裏の額縁制作所の住居表示、50年前のは、入れられていた作品の日付で明らかである。
問題は、その種の額が必ずしも本邦やフランスのキャンバスサイズ規格と一致しなかったり、元々油絵用の額でなかったりすること。しかし、加工したり、それに合う支持体を自分で作ればどんなものにも入れられるし、逆にその額縁の雰囲気に合わせた絵画を描くという趣も発生する。
支持体はシナベニアを切り(大きいものはパネルにする)、膠で麻布を貼り、油性下地剤を塗り、地塗りする。結構手間はかかる。
上掲作品は、規格外額縁に入れるため、手製支持体を作り、それに恰好の横長のモティーフを描いたものである。