Ψ筆者作「ロワール河畔の町」 F15 油彩
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《…先ずこれも注釈を要する。先ず「内部選抜した入選候補100人」とは、即ち「内審査、下見会」の存在なくしてはあり得ないもので、それ自体が審査の公平性に悖るとは前回記事にも明らか。「主要七会派」とは、先に述べた通り、光風、一水、白日、示現、東光、創元、日洋各会である。「2~3万と作品写真」というのは依頼する側の数字で、記事の趣旨では審査員になると2~3万×100人以上、即ち2,3百万円以上が転がり込むということになる。後段の例は、先ず自会派の「ブローカ画家」に口利き料30万円払い、話をつけた上で、他会派の審査員にも2~3万円払えと言われたというもの、この2,3万円も一人ではないだろう。つまりこの中部地方の御仁は一年につき4,50万払い、二年分の入選を「買った」ということになる。
 審査員は各会派代表17人、半数程度で入選ということなので自会派の審査員だけでは足りない。だから他会派にも手を回せということである。
 中山何某の「会派として強制しているわけではない」など噴飯ものである。強制される「心暖かなご指導とご配慮」なんてあるだろうか!強制なら文字通り、後払いで入選を金で買うということになる。従わなかったら不利益を受ける懼れあるから従うのであろう。それに事の本質は、暗黙の因習、腹芸、裏で行われている不正の問題ではないか。強制などというすぐバレることをやるはずない。
 断っておくが、これらは何処かの会派に所属している出品者の話である。「公募」の対象たる一般、無所属の出品者は、この当事者になることすらできない。
 末端がこれだからヒエラルキーのトップの芸術院会員など数千万単位の金が動くという世評も頷けるというものである。…それ以前に大事なことは、「公募」と称し、一般出品者から出品料等を取りながら実際は傘下の団体所属者だけで壁面が占められるというのは「詐欺」に当るということであり、もちろんそれは公益法人たる資格に関わる大問題である。…最早何をか言わんや!である。怒りや嘆きを通り越して笑ってしまう。一体こういう連中は創造者としてのプライドはないのだろうか!?何処かであったであろう、絵画芸術への愛や憧憬、自然や人間に通う純粋な造形モティベーション、日々の技術的切磋琢磨、これらが総てこうした行為で自ら卑しめ貶めてしまうことに気づかないのだろうか!勿論これは画家だけの責任ではない。筆者が「ガレキの山」と呼ぶ「画歴羅列主義」では「実績」は必要だろう。その画歴と役職でランク付けされるのが「年鑑評価型市場体系」である。このような価値観に頭のてっぺんから足の先まで支配されている市民社会に対しては何某かのアドヴァンテージを見せつけたい、そういうことだろう。
このように純粋であるべき芸術が、美術団体という「社会性」を帯びると、俗臭紛紛の「現象」となるということを曝け出した。その権威主義、ヒエラルキー、悪しき因習は、他の美術団体や他種伝統文化も同様である。
 以前某ネットコミュニティーに、他人の撮った写真や印刷物を転写するだけの、絵画的価値とは縁もゆかりもない作業の、無知と勘違いも甚だしい、造形や素材等のデタラメを振りまく自称絵画愛好家がいた。この御仁の根拠は先入観程度なのだろうが、やたらに肩書や「プロ」だ「アマ」だの文言に拘わる過程で、「日本の絵描きはほとんど税金も払っていないカタリである」と放言していたが、その種の卑しい価値観の持ち主は他にもいたが、これもこうした土壌あればこそであろう。
 しかし、絵画芸術や絵描きの世界が総てこういうものだと思われては困る。自らを卑しめ貶めることを自ら許さないプライドある絵描きの存在を信じる!
(つづく)