Ψ筆者作「赤い屋根の街」 F20 油彩

政治、経済、メディア文化、法や制度、社会生活一般等は、それぞれもともと現象世界に属する分野にあるものであるが、それにも「現象」・「本質」の二元論的思考に立てば、人類が長い時間をかけて目指してやっと近年に至り達し得た現象世界の中の「本質」、即ち前述の「泥濘の上澄みの清流」への理想がそこにあることに気づかされる。例えば、諸々の自由、平等、平和、民主主義、人権、反人種差別、立憲主義、マスメディアの使命、ヒューマニズム、博愛主義、環境保護…etc.これらは、法や制度の根拠、あるいは目指すべき物事の規範であるが、この現象世界の理想と実態とはなお距離がある。
昨今の内外の政治的潮流やメデイア、ネット社会において「ポピュリズム」の蔓延が見られる。ポピュリズムとは、「自国至上主義」、や「移民排斥」、レイシズム、「力の論理」、保護主義経済等、それなりに分かりやすい、手っ取り早い、一般大衆が潜在的に持つホンネを掘り起し、その共感を得つつ一定方向の政治的目標に誘導しようとするものである。
「頭の良い」政・官・業のエスタブリッシュメントが、互いの利害関係を考慮しつつ、巧妙に国民を支配管理するというのが、従来の欧米や本邦の政治の権力構造であったが、ポピュリズムは、特定の「分かりやすい」スローガンを掲げてその行詰まりや問題点の打開を図ろうとする、早い話が、七面倒臭い、難しいことを考える知性を持たない「バカ」を開き直り、威勢の良いスローガンを大声で叫び続けながら、共通のホンネでマジョリテ―を形成しようとするもので、トランプの「成功」はその象徴である。
その「反エリート主義」は結構なのだが、目先の現象の因果処理にしか思考が及ばない「知恵足らずポピュリズム」が、前述の「エリート・エスタブリッシュ」に摺り寄り、利用したりされたりしたら一層始末が悪い。その「衆愚エネルギー」は、そのトランプ政権やかつての日本やヒットラーのドイツの様に、理屈の通用しないしない凄まじい反知性の多数派を形成する。これにマス.・メディアを加えた「政・官・業・御用マスコミ」の四権力と結びついたものに、創造力のない、思想のない、自分の言葉を持たない故に、与えられる保守的価値やスローガンにその脆弱なアイデンティティーを支えられ、「非国民」、「売国奴」、「国賊」、「三国人」、「反日」、「左翼」…等昔懐かしいレッテル貼りをしさえすれば総てを語れるような、「ネトウヨ」に象徴される、おめでたい有象無象が飛びつくという状況が、現下の本邦に他ならない。
この愚かしい「総保守翼賛体制」で置き去りにされるのは、筆者が前述した、「現象の中の本質」とか、「泥濘の上澄みの清流」のようなものとなるが、余人は知らず筆者は、この、「本質」を顧みない「現象」の暴走を見てみないふりをする上に、自己のレゾンデートルや創造行為を位置づけることはできないので、以下現象世界の具体的事例について、「二元論的発想」により筆者の存念を既出拙文(《括弧内》)を援用しながら述べる。(一部編集)
(つづく)