Ψ筆者作「オワーズ川雨もよい」 M4 油彩

「我描く…」の絵画の世界で言えば、西欧の先達も、本邦の佐伯祐三ら早世した「明治・大正・昭和初期」の画家たちも同様である。佐伯は、その人脈などから、その気になれば手に入れることができたであろう、当代の美術界での栄達より、自らのモティーフを描くことそのものの欲求と、「俺は純粋か?」の自我のテーマを追い、二度目の帰らぬ渡欧を果たす。
青木繁は、既に派閥や領袖の支配下にあった当時の美術界をボロクソにこき下ろし、二度と美術界に戻れなくなり、九州放浪の旅の果てに三十に満たない生涯を終える。
その青木と浅からぬ因縁のある坂本繁二郎の属していた太平洋画会の有志は、「芸術の精髄を汚す」として、同会や白馬会の派閥力学による「情実選考」に抗議するため自ららが得た褒賞を返還するという行動に出る。昔の画家は随分純粋だったものだ!
そのレゾンデートルのために、諸々の不利益や孤独や貧困や心身の疲弊等の代償を支払った芸術家は他に洋の東西を問わず枚挙にいとまない。かの岡本太郎は、「芸術家は孤独でなければならない」とまで言い切っている。
つまり、かれらのそれは、このような、自我に潜む「本質」とか「真実」とかを引っ張り出すための、死と隣り合わせの、ヒリヒリするような緊張した行為の中にこそあり、その退っ引きならなさが作品の力となったのである。
子細後述するが、これに対し、「美術団体」という「社会性」に取り込まれ、権威主義や因習やヒエラルキーに支配され、情実や人脈に運命を委ねるような画家は、卑俗な「ガレキ(画歴)の山」に己がレゾンデートルを晒しているのであり、かの先達のような「命創一致」の緊張感など及びもつかないが、かの「日展事件」に顕著のように、芸術家としての最低の羞恥心やプライドの如何すら疑いたくなる例もある。
メディアや商業主義に迎合し、話題性や目先の面白さばかりを追い、評判や結果を求める「現代アート」も、時代とともに消え去るべきその「使い捨て」的運命に気づきもしない。
繰り返すが、現象世界の総てを疑い、否定せよというのではないし、須らく前述したような壮絶な人生や悲劇的結末を覚悟せよというわけでもない。やろうと思っても、現象世界で生きなければならない普通の、生身の人間が安直にできるものではない。しかし、はっきりとしたそうする意思を以て、相応の努力をし、純粋に素直にそれらを希求すれば、泥濘の上澄みの清流を掬うように、疑ってもなお残った、疑いきれない本質や真実に出遭うことができるのである。
実を言えば、筆者が本当に楽しかったこと、愛情を注いだこと、逆に本当にそれを失うことが悲しかったこと、悔しかったこと、その想い出を今でも引きずっているという対象は、人間ではなく一緒に暮らした犬・猫だ。これは事実だから仕方がない。時として、彼らの短い寿命に比し、なんであんなロクでもない人間が80年も90年も長生きできるのか、おそらく動物愛護家ならずとも一度は思うであろうことを思ったりするが、その短い人生が直向きさと純粋さで満たされていると思えばその意義や価値は時間の長短ではないと思ったりする。
また、巷間よく聞く、自分の仕事についての、「理解と協力、励ましと支援」などというのは一体どこの国の言葉かと思うほど、筆者には、「乾坤一擲」並みの一例を除き、血族姻族、親類縁者から神社仏閣に至るまで、縁のあるものではなかった。その意味では筆者は見事に(!?)に「不幸な人間」なのである。しかし「塞翁が馬」、この「人間社会失格」は、誠に勿怪の幸いであった。多少の厭世観は伴うものの、前述の「二元論」的発想を以て、眼前の現象世界に翻弄されず、自己のメティエに因果する本質のみを希求するべしという命題を得た。人間や人間社会のウソ臭さを最初から疑っているので裏切られることはないし、世俗的煩わしさからも解放され、外部から与えられる話題性や集団的価値や情報操作や世論誘導に安易に乗せられたり、後には何も残らない「ミーハ―価値」に振り回されるようなこともない。「自己喪失」に陥らず、レゾンデートルは鮮明になってきた。齢を経るにつれ、視界の霧が晴れるように、見えないものが見えてきたような気がするのである。あとは安らかな死を迎えられるかどうかだけである。(^^)
(つづく)