Ψ筆者作「チェルリ―公園の花壇」 F4 油彩

確実に言えることは、古今東西の、自然科学、社会科学、人文科学、芸術等は、それでは済まない「我思う」人間たちの手によって模索、開発、発展してきた。否、そういう卓抜した才能、知力ある専門家に限らず、自分自身の問題としてそれでは済まないという人種は数多存在する。そういう人種は、一度しかない人生、何も気づかず、考えず、欲や本能に支配されるだけで、「バカ」のままで終わるというのは耐え難いことであろう。
敢えて言おう。実は神や仏は存在しない!「あの世」も天国も輪廻転生もない!それらは人の想像力の産物であり、みんなで決めた「約束事」なのだ。人は「無」から生まれ無に帰る。人生という、無と無の間の一瞬の「有」が総てなのである。
満天の星空を見て宇宙の神秘を思わない者はいない。宇宙の原理は人生という一瞬の開かれた窓からしか見ることができない。その窓の向こうに明るい大気があり、海があり大地があり季節が繰り返えされ、数多の生命体が生成と消滅を繰り返す…。窓が閉じられれば総ては終わり。死の恐怖とはそれら総てが失われるという喪失感への恐怖に他ならない。したがってその間に、永遠の真実、現象の底流にあるモノの本質を垣間見たい、出遭いたいと思うのも自然のことなのだ。
とするなら、より純粋な真実に出会うためには、ひとたびは現象世界を疑い、それを否定しなければならない。そうすることでこそ、それでも残ったものにそれを見つけることが可能なのである。玉石混淆の一元論の中では曖昧な妥協の産物しか得られないだろう。
デカルトの命題では「現象」とは疑うべきものであり、その、「疑うという行為」により初めて事の本質を知り、それ故「故に我あり」の根拠たる、「raisond'être(レゾン・デートル)」(存在理由)を得られるのである。
このレゾン・デートルに関し「我思う」は以下にも置き換え有られる。「我描く、故に我あり」、同じく「我奏でる…」、「我走る…」、「我登る…」、…etc
「我走る」に関し、以下は前回の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取り、その後自殺したかの円谷幸吉のよく知られた遺書全文である。
《父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。》
この遺書については本邦の複数の「国民的作家」が「これほど美しい遺書は見たことがない」旨の一様の評価を与えているが、いささか「文学的」に思わせぶりでピントはずれのような気がする。
上記通りこの遺書には親族のことを除き、食い物への感謝以外のことは何も書かれていない。円谷のレゾンデートルは「我走る」であった。そして、「もう走れなくなった」時、それは失われた。ポイントは、その後現象世界で上手に生きて行く術も持たなかった円谷には、「現象世界」には「食い物の思い出」しか残らなかったということである。この遺書に美しさがあるとすればその徹底した悲劇的とすら思える「純粋さ」であろう。
《「君は何故山に登るのか?」、「其処に山があるからだ」》。これは、その明快な回答である。「そこに山があるから我登る」とは、アルピニストのレゾンデートルのことである。聞いた話だが、エベレストを登れば時に崖や谷筋に全く動かない人影が見える時があるという。遭難者の遭難時そのままの遺体である。それは容易に回収できないこともあるが、そのままその場所に放置しておくことが、人生を完成させ、好きな場所で眠らせておくという、至上の「鎮魂セレモニー」ということか。気温が低いので腐敗しない。したがって「山仲間」は、遠くに見えるあの遺体は、何年何月に遭難した誰それ、ということは分かっているが敢えて何もせず、写真だけを取って遺族に贈るという。遭難した本人たちも山で死ぬことは是非もなく受け入れなければならないことであり、山を墓標とすることの覚悟も出来ているだろう。
(つづく)