
モティーフの取材と、先達の足跡を辿るというのが今回の渡欧の主たる目的であったが、仮にこれが最後の旅行になっても、人生に悔いが残らないよう、何か大きな意義が残るようなものにしたいとの思いもあった。これを「この世とあの世の境にあるような、ノスタルジックな風景、あるいは永遠の真実のような価値との出会い…」などと大仰な理想を掲げたりしたが、予想はしていたが、現実はそう甘いものではなかった。
憧憬していた街や建築施設や遺跡を占領するウンザリする程の数の観光客、チケットを買い求める長蛇の列、田園や森もその国その都市の利便に適う整備が施され、高速で車が走り回る大きな道路で仕切られ、要所要所にはテロを警備する警察や軍隊の姿、そしてあっちでもこっちでも手荷物検査行われるなどの現実は、そういうものが幻想であることを物語っていた。
しかし逆に、現実がそうなら、そういう現実を再び理想化するには絵画と言う手段以外になく、そこに新たな絵画芸術の妙味と意義があると思い、そう考えるとそもそも美術史とはその繰り返しではなかったかと、そういう発想の転換こそが災い転じて福となすの新たなモティベーションに繋げられるのではないかと。つまりこちらは現実の風景から、その絵画的価値を帯びた構造部を抜き出し、心象のフィルターをかければよく、現実を引き写す必要など全くないのである。

※サンマルタン運河
勿論滞在中はそういう現実と理想のことばかりを考えていた訳ではない。理想は常に現実から裏切られるというのは世の常であり、そういう現実の中の、その国の生活習慣、価値観、人種、制度や仕組みなどに適応を図ることも一定に必要なことであった。
そうは言っても、理想と現実の乖離の中、何十日もコミニュケーション不在のままの長期に渡る一人旅の緊張は、心身の疲弊を招くのは避けられないこと。筆者にはそれが食欲不振、動悸、不整脈、眩暈などの自律神経失調と推定される具体的症状として旅の後半まで蓄積されてしまった。このような心身の異常は、度がすぎると、冒頭で述べたような本来の目的を達することはできず、事実何度か「ホテルの人」となって何処にも行かず一日中寝ていたこともあった。そういう意味ではその戦いの連続だったが、なんとか取材らしきものはまずまず当初の計画通り進んだ。
ところで、以前「パリ症候群」という新聞記事を読んだことがある。これは日本の精神科医が発表した、フランス、パリに滞在する、20~30代の女性に多く見られる精神異常のことで、他の都市に比べ格段にパリにその発生頻度が高いという調査研究である。その原因は一言でいえばパリへの理想と現実のギャップということらしいが、筆者にはさらにパリ特有のものに起因する、言葉の問題や、疎外感、閉塞感、孤独、深刻なホームッシクなど諸々に係る精神病理と思える。人間関係の価値基準が他者との「和」(例え表面的であっても)とか社会的礼節にある日本と違い、ヨーロッパは特に徹底した個人主義であり、そのことを先ず理解しておかなければならない。そうでなければ、花の都や芸術の都と言われるパリであるが、恐ろしい、決して優しくない街となるのである。

※セーヌとポンデザール
ひとたびそうなると、どんどん内向きに、自分のことしか考えられなくなり、神経は悪い方向に鋭敏になり、考えなくて良いことを考えたり、ちょっとしたことに腹が立ったり、それがまた余計な緊張や不安や被害妄想を生んだりの悪循環を生む。
筆者にあっても、道路や地下鉄の人や車の多さは勿論、日に2~3人は寄って来るベガ―(物乞い)、パトカーのゲシュタポのようなサイレンやSNCF(フランス国鉄)のアナウンス前のチャイムから、クチャクチャ聞こえるフランス語でさえ苛々の元となった。昼夜の食事のことは大きなプレッシャーとなり、電車の時間や乗降する駅にも極度に神経を使うこととなり、ハムやチーズを挟んだ大き目のサンドイッチを歩きながら食っているフランス人には、「お前らよくそんなもの毎日食ってられるな!」と日本語でつぶやいたりした。日本の電車の中で、10人いれば8~9人がスマホなどをいじっている光景をよく見かけ、かねがねその電子機器ごときに支配されている、無個性でワンパターンの風潮に疑念を持っていたが、パリなどでも必ず、イヤホーンを耳につないで片手にスマホを持ってシャナシャナ歩いている日本人や他の東洋人の若い女性を見たが、「フランスに来てまで同じことすんな!」と後から蹴飛ばしてやりたくなった。
これらは今思うと、「軽度の≪パリ症候群≫であったかもしれない。しかし、いい歳をしたおっさんがホームシックでもあるまいにと思いつつ、筆者とは比べようもないくらいの長期滞在していた、探究心・使命感旺盛、精神頑強、思想堅固の先達はどうだったのかを調べると意外にもそう言う意味での戦いはあったようだ。
(つづく)