Ψ筆者作「アヴィニョンの橋」 F4水彩 現場仕上げ 所要約一時間
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  諸々の事由により旅程の最後の方の一部を切り上げ、早めの帰国となった。元々変更可能なオープンチケットだったのでその辺の融通は効いたが、70余日に渡る旅程で、モティーフの取材と先達の軌跡を辿るという当初の目的の90%程度は、その満足の如何は有るものの、ほぼ消化することが出来た。消化仕切れなかった残余の部分については元々重複した場所であったり、訪れる意義は日本でも十分叶えられるものであるのでその意味での損失はあまりない。
 先ず筆者が訪れた場所と絵画的興味、その意義、目的のようなものを添えて列挙する。
〇パリ市内(40日、ルーブル、オルセ、サンマルタン、他懐かしい場所再訪)
〇旧リュードヴァンブ、クラマール、オテル・グランゾム他(佐伯祐三の足跡)
〇ノルマンディー(モネの「印象」のルアーブル)
〇ブルターニュ(モンサンミッシェル)
〇ポントワーズ(印象派)
〇オーヴェール・シュル・オワーズ(ゴッホ)
〇バルビゾン・フォンテンブロー(バルビゾン派)
〇ロワール川古城群(シャンボール城他)
〇アヴィニョン(ベネッセ橋とローヌ川)
〇アルル(遺跡群とゴッホの言う「日本のように明るい」かの確認)
〇リュベロン地方(プロバンス小町村、鷲の巣村)
〇エクス・アン・プロバンス(サント・ヴィクトワール山)
〇マルセイユ(佐伯ら先達がフランス第一歩を記した街とはどんなものか)
〇ニース(テロの後、国境越え)
〇ミラノ(ドゥーモとはどんなものか)
〇ヴェネツィア(サンマルコ等観光地と反対の側の裏町に興味)
〇フィレンツェ(ミケランジェロの丘からドゥーモ眺望、ヴェッキオ橋とアルノ川)
〇ローマ(カトリックの総本山バチカンは見ておきたい、サンタンジェロ城とテヴェレ川他)
 上記目的はあるものの、流石に70日余日に及ぶ連日の鉄道の移動や食事の心配、言葉の不都合などで、疲労や緊張は蓄積され、後半は眩暈や動悸、不整脈など自律神経失調症ではないかと思う障害に悩まされ、フィレツェでは薬局に英語の文を書いてそれに関する薬(ほとんど役に立たず)を求める始末、これも日程調整の大きな要因となった。
 さて筆者は実は、神社仏閣(教会)、城、美術館・博物館の三者には余り興味ないということに旅行中改めて気づいた。しかしこの三者は、旅行会社などでは真っ先に表看板にするヨーロッパ旅行の目玉に他ならず、それに興味ないとすれば一体なんの為にかの地に行くのかと言われそうだが、筆者にあっては「絵画とすべき良い風景に出遭うこと」がその最大の眼目に他ならない。
 その教会や美術館を次第に疎ましく思うようになったのはその外部要因に大きな理由がある。例えば、ミラノのS.Mデラ・グラツエ修道院のダヴィンチの「最後の晩餐」、フィレンツェのウフィッツイ美術館、ローマのコロッセオ、ヴェネツイアの諸名勝等は今回総て中に入らなかった。その原因は余りの人の多さ、混み具合である。 それらのほとんどは他の名勝施設と一緒になったり、あるいは単独での有料チケットがいる。有料は構わないのだが、それらは多く欧米人や中国人のツアーに組み込まれ、旅行前から予約制がとられ、その予約に基づくチケットを手に入れるガイドを中心にした集団の塊が物凄く、ましてや予約をしてない筆者のような者が単独で買うチケット売り場など2~3時間かかるような長蛇の列である。仮にやっと中に入ったところで群衆の隙間から遠くに「モナリザ」が見えるルーブルがごとき混雑である。
 その結果どうなるかというと、それらは、その名勝の意義やいわく因縁など大して興味のない有象無象を含めたツアー客に占領され、時代を引きずって現実の中で生きている意義ある文化としてのそれらではなく、現実から浮いた観光対象の単なるオブジェに堕してしまう。
 先達の仕事やその往時に思いを馳せたり、古代のロマンを感じるなどということは、あの群衆のエネルギ―に圧倒され、チケットを手にする疲労の前にかき消されてしまう。おまけに最近ではテロを警戒しての手荷物検査がほとんどの所で行われる。これはルーブル、オルセも例外ではない。とにかくウンザリするような人の多さである。どうしてこうなったのか、筆者知る二十数年前まではこういうことはなかった。最近のことである。
 そもそもS.Mデラ・グラツエ修道院の「最後の晩餐」など、修復に修復を重ねほとんどダヴィンチの手など残ってない。ウフィッツイの何点かは日本でも公開されたし、筆者においてはどんな画家がどんな手法で、どんな素材で描いたなど大体分かっているし、どうしても観なければならない必要性などなく、見過ごすことに何の抵抗もない。むしろフランスやイタリアの当局者にこれら名勝施設の文化的意義を守り、維持しようと思うなら現在のようなミーハ―的観光行政を考え直せと言いたい。繰り返すが、文化財とは歴史を受け継ぎながら、現実の中でそういうものとして生きているべきで、「観光遺跡」として形骸化さすべきではない。例えば「スペイン広場」はオードリー・ヘップバーンがソフトクリームを食ったという「ミーハ-情報」のみで観光客がごった返すローマの名勝となった。かの文化財もこれとが同一次元でごった返しているとしか思えないのである。
 筆者にあってはミケランジェロの丘の高台からドウーモを中心にしたフィレンツェの街やヴェッキオ橋とアルノ川を眺めながら、どうしたら絵になるかを考えたり、ルネッサンスの往時を思ったりする方が余程意義ある。
(つづく)