Ψ筆者作「友達のいる窓辺」 F20 油彩

先ず筆者は、他者から、とりわけスポーツやエンターテイメントから「感動や勇気をもらう」などということはない。それは安っぽい流行り言葉としか思えない。当然「○○をありがとう」などと言い得る道理もない。本当につらい人は「絆」とか「がんばろう○○」などという投網のような言葉は糞の役にも立たないだろう。勿論そんなものに励まされたこともない。オリンピックやW杯サッカーなどのお祭り騒ぎに浮き足だったこともないし、日本人だからと言って日本を応援したこともないし、幾つメダルを取ったという事実に喜んだこともない。抑々、日本人に生まれて良かったなどと感じたことも更々ない。そのような矮小な属性や枠組みが価値判断の規範になったことはないのである。
その意味では「非国民」上等、「売国奴」有り難き幸せである。
国や家族や諸々の環境に生まれ育ったというのは偶然に過ぎない。その偶然を感謝したり、失望したりする暇があったら、わずかな事でも自分自身の価値を希求し、自分自身の世界を築きたい。
市民社会的、最大公約数的価値や流行りものの底の浅さは数多の先達が語るところ。そのような「文化」に、たった一度の人生が翻弄されると考ただけでゾッとする。早い話が、総て諸々の「エスタブリッシュ」が仕込んだ、彼らの利害得失と人心管理の所産。そして己が無能無芸故に、外部から提供される、出来合いの「価値」に身を委ね安心する「自我保守」。文化価値とは本来与えられるものではない。個々が創り出すものなのである。
一方でどうしても納得いかないことがある。
昨日まで「鬼畜米英」と言っていたのが、原爆を落とされたことなどケロッと忘れて、一朝にして「アメリカ様々」となるものか!?
そのような対米隷属背景ある中、戦前の威勢の良い日本や日本人に係る精神論がそのまま通用するはずがない!
歴史修正主義は「モノカネ、インフラを与えてやった」で合理化されるものか。レイシズムは許されるのか。
それに「大震災が起こる確率が70%以上」と言われている中、正に一か八かのようにオリンピックを招致する神経が分からない。
抑々、たかだか20日間程度の「国際運動会」をインフラ整備や経済の突きお越しにするというのは、競走馬の眼前に人参ぶら下げるがごとき発想としか感じない。「高度経済成長時代」的発想以外の何ものでもない。
総て、正直バカじゃねーのと思う!ちょっと冷静に考えるとおかしなことはいくらでもある。
ところで、昨今夜の公園や道路で仰向けになって動かない蝉をよく見かける。(スマホでポケモンを探してる連中もよく見るが)寿命が尽きたとしても車に刎ねられるのは忍びないので、安全な茂みの方に投げてやろうとすると、死んでいたと思った蝉が、最後の力を振り絞るように低空飛行で逃げていく。蝉は7年土の中にいて、この世にいるのはたった7日である。
悠久の宇宙や時間から見れば人間も蝉と変わらない。
そういう短い人生、何が真実か何がウソ、ハッタリか、見極めなければならない。歴史は永遠の真実を語る、その意味でこれは行かなければならない旅行、 今日8月25日発つ。
来年まで当ブログは休止。