17世紀ヨーロッパ風景画の一構図の類型を整理する。その趣旨は≪向かって左側に大きく中心となるモティーフを据える。そして右に向かうにつれ、視線の及ぶ対象が徐々に低くなり、緩やかな左周りのカーブを描きながら遠方へ広がり、左にやや戻ったに地点に収瞼される≫というものである。
 ところで「低地平構図」というのは筆者が便宜上勝手にそう呼んでいるもので、他にそう呼ばれている例を確認していないが、この構図も上記内容にしたがって「左近右遠後退構図」と呼ぶことにする。画面左側の近景に大きなモティーフを据え、中景、遠景に至る流れが,概ね一定の段差を設けながら右遠方へ後退していくという構図だからである。
 先の佐竹曙山の作品、その元となった銅版画と同じく、以下の三作品はいずれも17世紀オランダの画家でその構図が出来ている。  
            Ψフランドル派作者不詳
                                     「燃える藁の前のモーセのいる風景」 イメージ 2
イメージ 1














Ψアレクサンドル・ケイリングス作
「大きな木のある森」














イメージ 3Ψウルム・ファン・ニーウランド作
「ローマの廃墟のある空想風景」









この構図はオランダ以外も含め他にも数多くある。これが先の蘭学書挿絵の銅版画を経て本邦江戸末期の洋風絵画へと伝わったのである。
 この「左近右遠後退構図」や「低地平構図」など類型構図において、筆者は更に進めたい考え方がある。それは、安易にそれを援用したというより、敢えて類型の構図という制約の中でその展開の可能性を探ったと考えた場合その妙味も有りと。これは例えば本邦の俳句が、「5・7・5」の語数制限と季語の必要という約束事を設定し、敢えてその制限の中に自由な表現の可能性を探るということに芸術としての意義を認めるというのと似ている。
 その「低地平構図」は文字通り古典的構図法と言ってよいほど数多の例をみる。これは、絵画空間の重心を低く据えることにより画面に安定性を与え左右の広がりを感じさせるが、相当なスペースの空の表現が問題となる。フェルメールの「デルフト遠望」もその例と言えるが、雲の表現が弱く、やはりフェルメールは「窓際斜光派」と言う感じがする。
 一方。「左近右遠後退構図」は色彩遠近法(近景を褐色、中景を緑、遠景を青と塗り分けによる遠近法。他に透視図遠近法や大(空)気遠近法がある)やフォルムの位置関係の表現などで画面に奥行を与えるが、的確なヴァルールやトーンの処理に係る技術が問題となる。
 ここでは「構図」と言う、純造形性の要素を中心に述べてきた。筆者は、このような造形史的視点を美術史に持ち込まずして、事実関係や時代性ばかりを語ってもそれは「周辺史」にしかならないと思う。そういう意味でやや甘い美術史学も目につく。
 いずれにしろ、学研畑でも評論畑でも市場畑でも、それが論述美術家として意義があるのは、その当事者がそういう形で美術に対して創造的に関わるということだろう。
(つづく)