Ψ筆者作「森の取水小屋」 P12 油彩
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ところで筆者は以下のようなことを当ブログで述べた。
 「絵画」を総て[painting]と英訳するのは誤り。「後期印象派」は実体として存在せず言葉づかいも誤り。大和絵・浮世絵等の「トーンを省略した明快な造形性」とは元々トーンをつけられない素材の問題。ヴラマンクが佐伯祐三を一喝した「このアカデミズム!」とはいわゆるアカデミズムのことではない。その当時のヴラマンクは既に「フォーヴ」ではない。佐伯の細い線に「日本の書」の精神を見るのは誤り、これは純粋な造形上の理由に帰す。青木繁の「海の幸」について、それを他の作品と同じ「神話的太古のロマン」で括るのは誤り。…
 これらは一部論述美術の中で現にそういうものとして語られていた事項について、件の造形史や素材史を考えあわせた場合そうならないという筆者の見解なのである。
 こう考えると他にもいろいろ思いつく。
 今「風景画の誕生」と言う展覧会が開かれているが、人物画の背景としての風景や神話やキリスト教世界の舞台としての風景に風景画の起源を見るという観方があるが、筆者はこれには直ちに同意できない。それらの「主人公」はあくまでも人間や神話やキリスト教の教義や登場者であり自然ではない。
 風景画がいつ始まったかは、画家が風景に、独立した絵画的モティーフとしての主体性を見出し、自然を「主人公」にした時である。つまり、描かれた現象としての「ランドスケープ」に着眼するのではなく、画家の造形的モティーベーションの在り処を見出さなければならない。
 したがって例えば同じバルビゾン派でもコローは「風景画」で良いが、ミレーは農村の生活に視点を置く「情景画」乃至は「生活画」と言うべきだろう。
 また、例えば従来の美術史上では本邦最初の「洋風画」を江戸末期の平賀源内、司馬江漢、秋田藩主の佐竹曙山等と言うのが通説であるが、素材史のみで見れば、それより数百年前、ザビエル渡来時にキリスト教図像に因みその技法の伝授があったことは一部痕跡から推定されるし、ニコライ大司教からイコン技術習得を命じられた山下りんの留学は黒田清輝や浅井忠より早い。
 繰り返すが、上記は造形史と素材史を併せ考えた美術史の体系であり、それによれば筆者は、価値の評価体系を含めた美術史の一部は書き換えられる可能性があると推定している。事実前述の「後期印象派」は最近では「ポスト印象派」と言われているようである。
 では実作美術家たる画家は、その意味ですべからくアドヴァンテージを有しているのかというと決してそうではない。自らの経験や視界の範囲以外はほとんど関心もなく知識もないし、その必要性もない。それが純粋な「絵描きバカ」の為せる業なら良いが、自分のことだけで精一杯!
 そういう意味での理想を言えば、論述美術家が実作を体験してみるということになる。その道で生きるわけではないので、技術的巧拙は関係ない。あくまでも「造形・素材」を知ることが目的である。美術史学に実作のカリキュラムは必要と考える。
(つづく)
参考・「低地平構図」
Ψサーロモン・ファン・ライスダール「デフェンテル遠望」  17世紀オランダイメージ 2
 













イメージ 3Ψユージーヌ・ブーダン 
ル「ドゥヴィル・桟橋・船」
19世紀印象派