Ψ筆者作「水車小屋と水藻」 F20 油彩
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   文化・芸術一般について、ここ数十年来で顕著になったことがある。これは筆者の独断ではなく、然るべき方面では指摘されていることである。
 かつて由緒ある芸術であった「詩」は既に市民社会の中には存在していないと言ってよい。「詩人」というパーソナリティーが存在しなくなった、ごく限られた専門家だけの小さな領域に自ら閉じこもった、その「しんねりむっつり」した波長が時代のリズムから置き去りにされた等諸々考えられる。
 同じ文学たる小説の世界では、かつては「文士」と呼ばれた、ややアナーキ―で、時にデカダンやニヒルであった「個」が、自らの身を削るようにして、人間や人生を照らし出したものだか、今や「何とか賞作家」などという冠詞付きで紹介されることで総てが語られるような卑俗な社会性に取り込まれてしまったかの感があり、「文士」既に無く、文学も「かつてそういう芸術があった」と言われるようになるかもしれない。
 映画・演劇等エンターテイメントは、かつては「総合芸術」と言われ、制作サイドも役者も、それぞれの道での厳しい修業を積んだ、「プロ中のプロ」が創ったものであったが、今はもう芸術ではないといってよい。素人が作り素人が演じ、ほとんど興業的成功と「話題性」がその価値を決めるというポピュリズムの支配下にある。「映画が芸術であった頃」という表題の本を目にしたが、その文言からは関係者の嘆きを感じ取る。
 「エンターテーメント音楽」はいっそう顕著である。例えば、19〇〇年、昭和〇年にはこういうヒット曲があったと紹介する回顧的歌番組がある。一定年齢に達した者にとっても、思い出の歌や昔の愛唱歌の一つや二つ誰にでもあった。そして、それを歌った歌手個人も思い出される。ところが将来のある時期、懐かしく思い出したりする歌や歌手が現在あるだろうか?筆者は思い浮かばない。その世界は既にそういう世界ではなくなっているからである。
 総て「個」が衰退乃至消滅し、文化が小市民化、集団化、ミーハー化していくという姿である。これらは時代のせいばかりとは言えない、創り手、送り手の側自身の、時代へのすり寄り、物欲しげな姿勢が芸術の純粋さや尊厳を卑しめ、貶め、やがて自らの首を絞めるような結果につながったのである。
 卑俗な社会性と言えば我が美術界は目を覆うばかりだ。
 以下既出拙文からの引用である。
 ≪本邦多くの創造行為は個人の行為ではなく「運動」である。その運動も理念ではなく、その団体のシステムやメカニズムをこなす俗な「社会性」に他ならない。団体最上部に大家、ボス連を据える、次に委員、会員、準会員、会友、平出品者などの序列がある。最上部の上は諸々の国家褒賞制度があり、その栄誉のため書くにも憚るような「別の運動」が行われる。内覧会とか下見会、内審査とか言われるものは、出品者は自らの顔や名前の売り込み、上位の者は自らの「子分」を一人でも増やす恰好の契機となる。これが「情実選考」の温床である。…中略…確かに美術界の、国家褒賞を頂点とする権威主義、ヒエラルキ―、因習、伝統は、他の文化にも見られる、世襲制度、家元制度、情実主義、地縁血縁、門閥学閥等はなどと同じ「国民性」において繋がっている。…中略…そうした構造が中心の土壌の中で個々の画家がその立場を主張するにはどこかの会派に属し、自分がいかにエライ画家であるかを示すような「曰く因縁故事来歴」を作品に添付する、すなわちこれでもかこれでもかとあらん限りの画歴(筆者はこれを「ガレキの山」と言っているが^^)を添えるというシステムが常態化され、画商もそういう付加価値で値を吊り上げ、買う方も何某かの「有難み」を買い、画家はいっそうのステータスやアドヴァンテージを求め、俗物化し、そういうメカニズムの繰り返しのうちに、芸術が「集団的メカニズム」の中で展開するという、世界に類をみない、金ピカの看板と勲章に額縁つけて売るような、歪んだ美術界・市場(筆者はこれを「年鑑評価型市場体系」とか「ハッタリ市場」とか呼ぶ)を形成するに至ったと言える。…≫

 実は上記拙文は2013年10月27日付の当ブログのものであるが、正にその3日後の同年同月30日、朝日新聞により「日展」をめぐる大問題となる、入選者数事前振り分け、下見会、金銭授受等の不正がスークプ報道され、諸々の悪しき因習が白日の下に晒され、筆者の上記認識がいみじくも証明された事例となった。
 クラッシック音楽の世界も美術界と同じような、上記日本的因習や権威主義の胡散臭さが紛紛とするが、筆者は、美術も音楽も、その純粋で崇高な芸術性に親しむために、一切の周辺情報や諸々の能書きを飛び越え、作品そのものだけに近づくよう心掛けている。
(つづく)