Ψ筆者作「帰路」 F10 油彩
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再掲≪佐伯祐三手製キャンバス≫
現在東京池袋近くに「修復研究所21」という、絵画の修復、素材分析等に係る専門機関がある。ここの前身が「創形美術学校・修復研究所」である。この初代所長が歌田真介氏(現東京芸大名誉教授)で、氏はかつて件の「佐伯祐三贋作事件」に関係した「佐伯作品」を総て贋作と看破、直ちに修復を断ったという経緯がある。ことほど左様にに同研究所は専門的鑑識眼とハイテク機材を備えたその道で信頼される権威であるが、同所は「修復研究所報告」という冊子を定期的に刊行していた。これは同所が扱った作品の分析、修復等に係る仔細な報告であり、その中に正真正銘の佐伯作品も含まれていた。
 同所は修復を安全確実に行うため、修復に先立ち、様々な光学、科学機器をつかって作品を分析、調査する。同冊子で紹介された機器は、X線マイクロアナライザー、微小部X線解析装置、光学顕微鏡などで、これらにより作品の物理的状況、素材成分から作品ができるまでの経緯などが仔細に分析される。
 同冊子1995,1996年合併号によれば、同所は大阪市立近代美術館建設準備室所蔵の佐伯作品を修復し全42点の佐伯作品に係る地塗り層調査データを得た。
 以下がその結果である。
 〇42点中35点が白亜を主成分とする
 〇鉛白(シルバーホワイト)と胡粉の混合が3点
 〇鉛白のみ2点
 〇鉛白と亜鉛華(ジンクホワイト)の混合1点
 〇亜鉛華のみ1点
という結果となった。
 ここで素材についてのみ、もう一度前回の証言をまとめてみる
 米子説…胡粉のみ
 阪本勝説… (木下勝治郎、渡辺浩三らからの情報を基とする)…酸化亜鉛(亜鉛華)のみ
 鈴木誠説…胡粉のみ 
 つまり、当該42点に限って言えば修復研究所の分析結果と一致するものは阪本説1点のみで、米子・鈴木説は一つもない。多くの佐伯作品の下地は白亜の一層塗りであったということになる。
 ただここで注意すべきことは、胡粉と白亜は顕微鏡レベルでその形状の違いにより分けられるが、ともに成分は炭酸カルシウムであり、米子らは一般名詞として一括して「胡粉」と呼んでいたという可能性もある。しかし先の下地材の色を見ると、やや褐色がかった白亜の色を佐伯は敢えて塗り残していた作品もあり、白すぎる胡粉や亜鉛華が覗いていたら佐伯はそれを塗り消していただろうと思うと、この素材の違いは明確にしておくべきだろう。
 以下の鈴木誠発言も疑問がある。 
 ≪三千本(?ママ)とかいう粗末な膠をアルミの鍋の沸騰した湯の中に入れる。撹拌してよく溶けた頃。油(おそらくボイル油でなかったか)をビール瓶から入れる。続いて当時高級洗濯石鹸の「マルセル石鹸」をワサビオロシで入れ。しばらく撹拌して水と油のエマルジョンが出来た頃胡粉を入れて出来上がり…≫
 膠は一晩水に漬け膨潤させてから湯煎して溶かす。そのまま鍋に放っても適正に溶けない。また70度以上の高温に置かれると分解して固着力を失い役に立たない。沸騰した湯への投入などあり得ない。
 いずれにしろ、件の佐伯の「失踪・自殺未遂事件」前後の様子がそうだったように、米子らの情報は迂闊に額面通りには受け取れないものや客観性を欠いているものもあるということは確かだろう。(「技法・素材」書庫より抜粋)