
Ψ筆者作「コタンの袋小路」 F3 油彩

Ψ筆者作「Je suis fatigué1」 F4油彩
モンマルトルの丘に腰を下ろし一しきりパリの街並みを見下ろした後、何気なくサクレクールの裏側に行ってみようと思った。階段の上部で「パルドン、ムッシュ!…」と声をかけられた。振り返ると若いパリジェンヌがカメラを構え、シャッターを押して欲しいと言う。こちらも頼み互いに「メルシー」と言って別れたが、同じ方向に歩きにくい流れもあり、こちらは更に階段を下りることとなった。特別の景色もなく、辺りをウロウロしたが、思わず「アッ!此処は!」と声を上げる風景に出くわした。
それは、子供のころから部屋の壁に飾り、絵画や画家へのオマージュの象徴でもあったユトリロ作「コタンの袋小路」、まさにその場所が眼前に奇跡のようにあったのである。あのパリジェンヌと会わなかったらここまで下りてこなかったかもしれないとか、何かに導かれたのではないかとさえ思った。
またある日、滞在した安ホテルの筆者の部屋は、上り坂に面した一階にあり、窓と鎧戸を開ければそこから通りに出入りできるような状況にあったが、ある時、杖をついた老婦人が窓枠の周りの、壁から凹んだ部分に座り休んでいた。近寄って「ファティゲ?」(疲れた?)と聞いたら、二言三言答えたがその中に確かにファティゲという言葉があった。
他愛ない刹那の話だが、筆者にとっては風景画を描くとはそうした総てを含むことに他ならない。だからツアー旅行のような表面を舐める程度のものではなく一定期間生活してみなければならない。それと観光客を意識した街づくりをしているところもダメ。いろいろな面倒も伴う。