Ψ筆者作「友達の見える窓」 F20 油彩(初出品)

人生とは何か?最近考えるているモデルは以下様である。
≪先ずそれは外界に向かって開かれた窓が一つある小さな部屋である。外界には、広大無辺の宇宙の広がりと永劫無限の時間の流れがある。そしてその窓が開かれている時間はほんの一瞬、人生が終わるとはその窓が閉まるということ。あとは150億光年先の宇宙の果てのもっと先にあるような莫とした絶対の無の世界あるのみ。
これはイメージやファンタジーを排した物理的科学的真理に適うだろう。まずこのモデルには、神仏、天国、霊界、輪廻転生等を設定していない。それらは死の不安や生の苦しみから人間を救い、なおどこかで「生きさせる」ための壮大な仮説、乃至は約束事に他ならない。生きとし生けるもの総ての感情、思考、喜怒哀楽、本能、習性、一挙一動、快楽、苦痛は総て脳の機能と五臓六腑の作用による。その脳が死したらそれらも無くなる。すべての生物は死んだらゴミになるだけ…≫
そう考えると次の答えは明らかだ。折角開かれたその窓、宇宙の原理や万物の本質が実はどうなっているのか、事の真実、真理とは何か、それらが見えるかもしれない、人生という一瞬のチャンスからいかに多くそれらを見知り、自分自身の価値として吸収する、少なくても、脳や五臓六腑の働きとは違う、一瞬の生命を輝かすかだ。
窓の外には先ず「現象」がある。現象とは事象、森羅万象の表象とも置き換えられる。政治や経済、文化から家族を最終単位とする諸々の社会性、人間関係等、その構造、枠組み、メカニズム一切である。そしてその部屋の主人たる外的存在としての本人も、その限りでは現象の一要素に過ぎない。
(つづく)