Ψ筆者作「避難」 F4 油彩イメージ 1
 
 白馬村で大きな地震があった。ニュース映像を見ると懐かしい地名が次々現れた。実はこの白馬村や白馬岳近辺はおそらく10回ぐらいは行っただろう。ここで風景画の修業をしたと言っても過言ではない。ニュース映像で見る家屋は寄棟造りのトタン葺きの屋根が多く見られたが、これらは以前は茅葺屋根だった。
 白馬村の蕨平は知る人ぞ知る絵描きのメッカであった。筆者も某画家から其処を教えてもらったのである。美術団体もこの辺でよく夏期合宿などしていた。蕨平の民宿には眼前に茅葺の家が二軒あり、山麓の野の広がりの中に白馬駅があり、その背景に晴れた日には雄大な白馬三山が見えるという格好のロケーションだったのである。白馬三山とは白馬岳、杓子岳、白馬鑓ケ岳を指し、白馬駅頭からは白馬岳が一番低く見えるが実際は一番高い。因みに筆者はこの白馬岳と唐松岳の頂上にも立った。蕨平の隣の大出には茅葺屋根と吊り橋のバックに白馬三山が迫り、ここも「描いてください」と言わんばかりのアングルだった。ただこの白馬三山の迫力から山を強く描きすぎて遠近感を失ったり、山肌のディテールを追うあまり山のスケールや量感が出ないというというのも起こりがちだ。
 野平とか菅入には住む人のいない、茅葺屋根の民家がいくつか放置されていたが、ここを狙って描きに行く画家も結構いた。筆者も民宿の人に車で送ってもらい、写生が終わるころ迎えに来てもらうというようなこともした。また、東京に帰る時、民宿のおばさんが地下への階段を下りて野沢菜漬けをとってきてくれたこともあった。絵を描くということとはそうしたこと全てを含むのではないかと思ったものである。
 鈍行に乗り南小谷で降り、千国、白馬大池と「塩の道」沿いに夏の日盛り街道を歩いたこともある。親の原は冬はスキー場だが洒落たロッジ群がありこれも趣の変わった絵になる。白馬大池や八方池から上はアルペンムード、美しすぎて絵にはなりにくい。というわけで、ここを描いた他人の絵には自ずと目が行く。現場で描く意義や悦びをもってキャンバスに向かい、自然に対峙し、その造形性を把握した絵とおざなりのものとは自ずから明らかである。
 しかし、おそらく今は茅葺の家はほとんど無くなっただろう。新潟に行った時は、「減反政策」で放棄され草茫々の棚田を沢山見た。博物館的に保護されたものはあっても生活のある生きたものは次々失われて行っている。かの「フクシマ」然り。開発や生産性優先の陰で失われた「美しい日本」がどれほどあるだろうか?!
 さらに問題は今回の地震でクローズアップされた「活断層」である。白馬村は「フォッサマグナ」と呼ばれる日本列島の中心部を分断する断層の西端にある「糸魚川・静岡構造線」上の「神代断層」の上にある。今回はこの神代断層が動いたのだ。このフォッサマグナが活動期に入ったという分析もある。また、このフォッサマグナの中には富士山,箱根山、浅間山、白根山などの火山がある。
 フォッサマグナの範囲は大昔は海だった。この様子は航空写真ではっきり日本列島を縦断している皹として見れる。この断層が活動し各火山が噴火したら本州が再び二つに分かれるという説さえある。この活断層はフォッサマグナだけではない。日本中にある。ニュースでは原発と関連させては誰も発言しなかった。かの糸魚川とは大糸線(信濃大町ー糸魚川)の終点で新潟県である。新潟県には「柏崎刈谷原発」がある。フォッサマグナのちょっと西の北陸は「原発銀座」である。
 活断層、火山、3.11、御嶽噴火、首都直下型、南海トラフ、四っつのプレート…近年のこれらに何某かの危機感や予兆を感じないで、世界遺産とか原発再稼働とかオリンピック招致等にうつつをぬかしている奴は「美しい日本」とか言うな!