
先日乗ったの電車内。前の席の大人七人が掛けられる席、その七人中の五人は若年あとは中年、男女比は半々というところ。眼に入ったのは、その七人が七人スマホだか携帯だかその種の電子機器をいじっているというCMのような世界である。 全員下を向いて右手で同じ動作をして中には不気味に笑っている奴もいた。それぞれ必要性があるのかもしれないし、何をやろうと勝手だが、その光景は誠に異様と映じた。筆者は当PC以外その種のものは保持していないが、PCコミニュティーのヴァーチャルさについては後述するが、ともかくその光景から以下のようなことを感じた。
先ず、あの小さな四角い物体の向こうに広がっている作り物の電子世界に一体何を求めているのだろうか?その余りに受け身で創造力も個性もない画一的な群れに薄気味悪いヴァーチャルさを感じたのである。しかしそれは其処だけはない。筆者存念では、前項で述べた通り、時代そのものの虚構を反映したヴァーチャル世界は其処らじゅうに広がっている。それに管理され支配され誘導され、作られた話題性や流行ものや「価値体系」にドッと群がる、精神を骨抜きにされた人間社会、余程別の席で居眠りをしていた人の方に「人間性」を感じたのである。
さらに時代の虚構性を考察する。
本旨前に今注目の「STAP細胞」をめぐる話題に少し触れておきたい。筆者も多少学研や言論の世界を知っているが、結論から言うと、良し悪しは別として主人公小保方女史は先輩たちがやっていたことをやったに過ぎないと確信する。事実その後似たような事例が次から次に露見したではないか。露見したから問題となったのであって、露見しなかったら悪しき慣習として続いていたはずである。
ヴィジュアルな効果を狙った切り貼りやコピペなどは当たり前。コピペについて言えば、参考、援用、比較、反論、批判などの必要性からで他者のものを引用するのは、お互いの利便に適うこと、そうやって科学や言論界は活発となり発展してきたのだ。引用をいちいち断るのは理想だが、「これからあなたを批判します」と言って許可を得る人はいるだろうか?少なくてもコピペは重大な罪には当たるまい。ともかく彼女はおそらく才能豊かな分厚い原書も読みこなす才媛だろう。彼女が凡庸な学研の徒だったらもっと慎重だったろう。その辺でチャラチャラしている数多の女より余程尊敬できる。
むしろ、小保方、ips細胞の山中教授、石井調査委員長その他の「不手際」がどうして露見したかということに関心がある。多分仲間内の「チクリ」ではないかと思う。当該世界も競争は激しい。理研も予算や公益団体資格獲得をめぐる工作、営利主義や産学協同路線、名誉欲や足の引っ張り合いなど、純粋な真理探究の世界とは程遠いものに覆われいるのではないか。とするならこれは先に述べた「日展」と同じく、権威主義、ヒエラルキーという虚構が支配する世界に他ならない。しかし科学の世界とりわけ人命に直接関わる医学の世界は虚構であっては困る。
ある機会あって医師近藤誠氏の本を二冊読んだ。もし彼が言うことが本当なら本邦の医学界、医学に関する価値観が根底から覆されることになろう。
近藤医師の主張の趣旨は概ね以下だ。文は筆者編集あることと筆者が間違っているかもしれないので必要な場合は要確認のことを断っておく。≪幹がん細胞は発生時に「本物のがん」と「がんもどき」と、その性格が決まりその後変化することはない。そして検診で発見されるもの、自覚症状のないものはほとんど「もどき」である。もどきは基本的に何もせず放置すべき。本物は「初期」と言われた小さなものでも細胞単位ではすでに成熟期。転移の素因は既に広がっていて、切除はがん細胞が暴れ、飛ぶリスクを高めるだけ。これも何もせず共生をはかるべし。つまり、どう転んでも何もしない方が長く生きられるということ。がん検診は無意味。「検診制度が充実したので早期発見・治療が可能」というが、がんは今なお死因のトップでありがん死は増え続けているという現況をどう説明するのか?人はがんで死ぬのではなく「がんの治療」で死ぬのである。抗がん剤は余計な苦しみを増やすだけ、絶対避けるべし。高血圧症や糖尿病は多くは病気ではない。数値基準をだんだん厳しくして患者を増やしているだけ。「予防医学」ではなく「患者を呼ぼう医学」であり関係「医療村」の陰謀。悪玉コレステロール値を抑える某薬の効力は宝くじ並み。民間療法、免疫療法は効力全く無し…≫等々小気味よいくらいの筆勢である。元より筆者は素人であり、その真偽の判断はつかない。しかし近藤医師の主張にはいくつも納得いく実感があるし、そう信じたいというものも多々ある。この、がんをめぐるめぐる話以外にも薬の副作用、薬害例は枚挙に暇ないし、精神医学などは果たしてそれが医学として成立し得るか自体を問う声すら方々で聞く。
いずれにしろ病気治療や予防に関し、方向性は一定だがその方法論で意見が分かれるというのなら話は分かる。しかしこれは方向性自体が180度違う。丸山ワクチンの時もそうだったが、多くの人がこうしたことに医学界の未成熟や虚構を感ずるだろう。科学・医学という、実証的、合理的であるがゆえ、比較的「真実」が見出しやすいと思われるような世界ですら、迂闊に信じてはいけないものが横溢しているのである。
ips細胞絡みでの虚構、ヴァーチャルに戻ればもっと極端なものがあった。その臨床試験を行ったというM氏である。事実とすればノーベル賞の山中教授の上を行く大業績であるが、読売新聞がこれを大々的に報じてしまったのである。
(つづく)