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Ψ筆者作 「秋声」 F30 油彩
 
 ところで思い出した時代劇がある。
(悪人面をした代官、閉じたままの扇子で紫のフサをそーっとめくる。中には作品の写真と一万円札が数枚しのばせてあった)
代官「○○屋、お主も悪よのーっ!」
○○屋「お代官様こそ、甘い汁を…」
二人「うひょひょひょひょ!」
 これとどう違う!恥を知れ!愛する絵画芸術がこのように卑しめられ貶められれば桃太郎侍ならずとも、ポンポンポンの鼓をバックに登場したくなるだろう。
 
 話を戻す。日展騒動の渦中、理事長の寺坂何某はそのヒエラルキー批判について「階級と言うが、会社と同じで一歩一歩上がり競うことも大切ではないか」(11月22日付朝日新聞)と言っている。先ず「会社と同じ」と、本邦最大の「美の殿堂」のトップがこういう「サラリーマン根性」的発想をもっていることに呆れた。会社は利潤や生産性を追求し、その過程で出世争いをする「社会性」そのものである。芸術は価値を追求する本来「個」に係るメティエである。利潤など望むべくもない。彼らはこの「利潤」を「芸術」で求めているのである。しかし仮にそれを是認したとしよう。その「一歩一歩上がり競うこと」の実体とは、「実力」ではなく、「傘下団体への入選者数割り当て」であり「下見会」であり「金品の授受」のことなのか!?
 「推挙」に話を戻す。日展のヒエラルキーは芸術院会員(常任理事)、理事、参与、評議員、会員、会友、年毎においては各種褒賞、無鑑査、審査員推挙、これに傘下各団体毎の会員、準会員、会友、平入選者等が加わる。その各段階で行われるのが「推挙」である。これが作品の内容が基準ならば文句のつけようはないが、実際はそれこそ会社の人事部のような「人事考課」や順番序列である。上役に気に入られなければ実力があっても出世できない、ここにゴマスリや利害得失、人脈が生まれる。「会社と同じ」とはその意味でウソは言っていない。
 推挙が日々の努力や師匠筋の指導で「上手くなったこと」の評価なら、上に行くほど芸術的価値は累積されるはず。誰が見たってそうではない。一度「受けた」画風と似たようなものを描き続ける、師匠筋と同じような画風を踏襲する、年1~2回の公募展用の大作にだけ切磋琢磨する、これでは停滞はあっても飛躍はない。
 さて、本当のことを言えば、公募団体や日展が今後どうなろうと筆者の知ることではない。看過できないのは、それらを以て絵画芸術や画家と言うものが語られることである。
 古今東西その絵画的価値を希求し、そのメテ ィエに自我の存在と人生を賭けた多くの先達を知っている。自らも子供の時から絵に親しんだ。一枚の多少まともな石膏デッサンを仕上げるのには何時間かかるかではなく、何年かかるかと言う世界なのである。
 そしてそういう造形世界に真摯に向き合っている人は多いと信じる。それは人間社会においては、生産と消費のメカニズムの外にある世界である。労働とそれへの対価は生産社会では常識だがそれも期待できない、犠牲にするものも多い、「殉職」する場合すらある。過酷と言えば余りに過酷な世界なのである。
 そうした中画家は生活と戦いながら一枚のタブロ―を仕上げる。なんとかその世界を拓こうと祈るような気持ちで公募展に出品する。ところがそれが胡散臭い、まともな世界でない、これが現状である。その胡散臭さは日展系、非日展系を問わず、多かれ少なかれ、「人間のやること、日本人のやること」と諦念気味に語られる。
 では最初から団体展など無視すればよいではないか?筆者もそうだし 多くの人がそうしている。しかし、生身の人間、霞を食って生きられない。その道を拓こうとすれば、何処かにその足がかりを求めざるを得ない。ところが例えば筆者の言う「年鑑評価型市場体系」とは日展に右に倣えの、団体展の権威主義とヒエラルキーそのものなのである。その他「新国立」など美術館の優先使用、非団体・画廊主催等公募展(以前述べたが筆者はその実害を身をもって知る)、企業や地方自治体主催の公募展、諸々の芸術系催事、それらのほとんどが、世界に例のない、因習とヒエラルキー、「価値観」に支配されている。その総本山が真っ当な審査すらしない、冒頭の時代劇の「お主も悪よのーっ」とすればこれはもう「文化的国辱」ものである。
 以前某ネットコミュニティーに、他人の撮った写真や印刷物を転写するだけの、絵画的価値とは縁もゆかりもない作業の、無知と勘違いも甚だしい、造形や素材等のデタラメを振りまく自称絵画愛好家がいた。この御仁の根拠は先入観程度なのだろうが、やたらに「プロ」だ「アマ」だの文言に拘わる過程で、「日本の絵描きはほとんど税金も払っていないカタリである」と放言していたが、その種の卑しい価値観の持ち主は他にもいたが、これもこうした土壌あればこそであろう。
 税金で言うなら、もう一つ忘れてはいけない、日展は「公益社団法人」である。税制面での優遇措置の代償としても、社会的存在としても正義でなければならない義務がある。
 (つづく)