前の「日展問題7」についての筆者の存念となる。「第三者委」の報告は、先ず全体に予想通りの半端なものであった。
 この問題で今回露呈された具体的問題とは◎事前に会派ごとに入選者数が配分されていたこと◎「下見会」と言われる事前審査が行われていたこと◎入選のため金品の授受が行われていたことの三点である。
 これらは総て公正な審査が前提となる、「公募」を旨とする「公益法人」には許されない不正行為である故問題となったのである。したがってもし、入選等が傘下団体の出品者のみで占められることを認識の上「公募」としたなら、それは「悪意」をもってそれ以外の出品者の出品料等を詐取したことになり、これは刑法上の「詐欺行為」となり得る大問題であるということ。当然その辺りについての追及が為されなければならず、その如何により不正実行者、指示者、受益者含め過去に遡りその責任も問われなければならないにも関わらず、「報告」はその辺りについて一切触れていない。
 これは調査期間が短いなどと言う問題ではなく、洋画で言うなら、過去の日展入選者のうち、傘下団体に属する者の入選者数とそれ以外の入選者数双方を割り出し比較すれば簡単にわかることであるが、その報告も為されていない。問題の発端となった篆刻の場合、傘下団体以外の一般入選者はゼロだったのである!
 報告の中身は、既に報道されたことの追認と日展と言う団体の中身を今後どうするかと言うことの提言だけで、公益法人としての外部社会との関わり方への視点が欠如しているのである。
 例えば、書は18人の審査員を調査したのに、他は4部門合計でたった6人のみである。第三者委は、先に調査書の送付を自らではなく日展事務局に依頼したとの報道があったが、騒ぎを大きくしたくない日展事務局の配慮が働いているとしか思えない。
 問題は、「会派への入選者数の割り振り」と言う具体的不正指示と、そのことがしたためられた手紙や文書などの物証の存否で終わるものではない。言い換えると、それらがなければ不正がなかったということにはならない。具体的数値が指示されなくても、物証がなくても、慣例や「腹芸」や談合などで現実にそのようなことが行われているのではないかが問題であり、これを本当に調べようと思ったら調査が「4科合計6人」などあり得ない。後述するが「内部告発者」が「これまで証拠を残すことはなかった」と証言しているが、これは証拠を残さずそういうことが行われていたということの証言に他ならない。
 つまり今回の不正審査、金品のやり取りという問題は、長老支配、ヒラルキー、権威主義、その先の国家褒賞をめぐる裏事情、総てに脈絡する、証拠を残さず内内で何か良からぬことをやるという、本邦美術界の悪しき伝統であり因習、慣例から出たことに他ならず、ここにメスを入れるべきであるのに、「報告」にその踏込は見られない。「洋画に不正はなかった」の意味は、書のような「証拠」はなかったというだけのことでしかなく、とてもそれでピリオドが打たれる話ではない。
 ところで、朝日記事中に「100年以上の歴史を持つ日展」とあるが、「100年以上」は正しくは文展、帝展を含めた「官展系の通算」である。「社団法人」から55年、「公益社団法人」からは1年しか経っていない。時間の長さは免責事由になるはずもない。
 一方これに対峙した、同じく100年の歴史を持つ「二科」を魁とする非官展系団体は当初はその在野としての存在意義を示していたが、仔細は割愛するがその後の離合集散の経緯に見られる利害関係や人脈、内紛、ヒエラルキー等の世俗性は官展系に勝るとも劣らないものがあった。今も生きるその悪しき伝統・因習は日展系に比しとても健全とはいえるものではない。 某非日展系団体の「理念」の何条かに「情実を排し…」とわざわざ自戒気味に書いてあるのは、その通りならそれは結構なことだが、逆に「情実」がその世界の常識であることを認知しているようなものである。筆者は非日展系に関してもいくつか事情を知るが、例えば師匠筋の某団体幹部が弟子の公募出品作に自ら加筆して入選させたなどと言う「下見会」どころではない噂は複数に及ぶ。
 さて、今回の朝日の特集が前回掲示の「内部告発」によるものであったということが明らかとなった。
 その内部告発の中での結論は以下であろう。
これが自分が目指した芸術なのか≫
 日展、非日展、無所属を問わず、すべての創造者、表現者は常にこれを自問すべきであろう。上記内部告発者は芸術家としての筋を通したことだけでも「一生を棒に振る」ことなど絶対にありえない。真に芸術を愛し、プライドと良心ある者なら上記のような内部告発をするべきである。ウソやハッタリや「寝技」で出来た画歴はいくら積み重ねても「ガレキの山」である。「一生を棒に振る」のはこちらの方である。
(つづく)