Ψ筆者作 「水無村五行川の別れ」 F6 油彩(画像削除)
近代日本洋画界において青木繁と言う画家は個人的には、村山槐多、佐伯祐三などと供に興味魅かれる画家である。ただ槐多や佐伯と違うのはその興味が作品そのものより、その人格や人生の方で、筆者においては青木の場合は評価できる絵は「海の幸」一点のみ、しかし別格ということになる。青木ほどその人格、人生において精神の安定と異常、虚と実、運不運、プライドと劣等感、強さと脆さ、作品において出来不出来、好評と不評など、その振幅の大きな画家はそういないだろう。 青木を「天才」と言う声はよく聞くが、東西美術史上の天才とは往々にして、上記のような「二律背反」の中にあって、緊張感ある作品を遺したと言う、その「乾坤一擲」故に語られたりするものだ。
青木と坂本繁二郎双方の共通の友人梅野満雄は昭和21年の以下の文を残している。
≪青木と坂本彼らは大いに似て大いに違う面白い対照だ。同じ久留米に生まれて然も同年。眼が共に乱視。彼は浮き是は沈む。彼は動是は静…中略…青木は天才、坂本は鈍才、彼は華やか、是は地味。青木は馬で坂本は牛。青木は天に住み、坂本は地に棲む。…中略…青木は放逸不覊、坂本は沈滞自重。青木は早熟、坂本は晩成。…≫ついでに言えば青木は29歳、坂本は87才で死去。
この梅野の言葉でその「天才」の意味が理解できそうな気がするが、後代単純にそれらと「夭折」を理由に言葉だけが一人歩きした感がある。また、青木と坂本は評伝で多く述べられているような「友人」とか「ライバル」とかの意味で深い関係にあったとは筆者は思えない。
以下の既出拙文は青木をめぐるエピソードである。上記の意味や前述の青木の人生や作品の振幅、起伏が覗えるだろう。
≪青木繁と坂本繁二郎≫
上掲引用部文末尾の坂本の行動に関係し、以下の拙文でも述べた。
《… 青木の死後その作品を巨額を投じて集めたのは梅野である。そのため彼は父親と争い、準禁治産者とされる。坂本に久留米のアトリエをほとんど無償で提供ろしたのも彼だ。ところがその恩に報いることなく、坂本はケシケシ山の青木繁碑序幕式に梅野を招待しない。仔細は省くが坂本は梅野ともども青木の存在を払拭したかったのだろう。》
青木は、短い生涯、家族との確執、貧困、落選などの挫折、福田たねとの離別、放浪、病苦など不幸苦難が付き纏った。そうした苦しい刹那に友人としての坂本繁二郎の影は見られない。徴兵検査で久留米に帰った青木と坂本は偶然会うが、一杯飲んだだけであっさり別れる。坂本は青木の瀕死の床にも死に際しても立ち会ってもいない。坂本の結婚式にも青木は呼ばれていない。そういうことや上掲エピソードから筆者は青木、坂本間には評伝で語られているような親密さなどない、シビアなものであったと筆者は判断する。
もう一つ青木の人生で大きな存在となったのが福田たね(胤)の存在である。青木のたねに対する冷厳な行動も、その真の思いとは正反対のものであったと思われる。貧困に喘ぐ青木にとっては結婚も出産も望み得ないものであった。たねとの離別も青木の方の意思である。これは一部評伝では青木の責任回避、苦難からの逃亡と見られている。松本清張にいたってはたねの流産を謀って青木はある工作をしたとさえ推理している。
しかし青木は、たねと一緒だった頃の「海の幸」、「わだつみのいろこのみや」は勿論、離別した後の「女の顔」、「漁夫晩帰」などでは総てたねがモデルの女の顔が描かれている。この心情や如何に酌むまん。筆者なら好きでもない女の顔などモデルにしない!(^^)
≪福田たね≫
1907年春まだ浅き栃木県水無村(福田たねの実家あるところ)。五行川の橋の上で青木繁はたね母子と別れる。「わだつみのいろこの宮」を勧業博覧会に出品するための上京である。上京中青木は父危篤の報を受け久留米へ帰郷、その後中央画壇への復帰かなわず、九州を放浪し福岡で死去。この五行川の別れが永久の別れとなった。
拙作画中抱かれた赤ん坊は幸彦、後年の福田蘭童、「ヒャラリヒャラリコ…」の「笛吹童子」の作曲家である。
蘭童も家族と言えるものとは疎遠だった。青木とは「事実婚」だったので、たねのその後の別人との結婚は「再婚」と言えるが、法的にも「重婚」とはならない。 蘭童はやがてたねのもとを去りこれも放浪する。女癖も悪い。蘭童の前妻の子、英市(クレージーキャッツの石橋エータロー)も長く蘭童の顔を知らないで育った。英市が結核で病床にある時、ある老婆が見舞いに訪れる。その父親の放蕩を青木のそれと重ね合わせたのか、「自分が悪い」と泣いてわびる。祖母たる福田たねであった。…≫
青木とたねは「太平洋画会」系研究所「不同舎」で知り合った。たねも画家志望で上京。「じゃじゃ馬」風の気風と器量良し、研究所の花であったようだ。嵐のような若き日去り、後年たねは当初の志通り筆を取り、示現会に出品したこともある。なお、示現会とは今日「話題」の日展系傘下団体の一つである。
(つづく)