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Ψ 筆者作 「夏の終わり1」 F15 油彩 
  かの青木繁は、「わだつみのいろこのみや」をもって「背水の陣」で「勧業博覧会美術部審査」に臨んだが結果は「三等末席」という結果に終わる。この三等末席とは今日的常識で言えば平入選あるいは青木の白馬会賞や「海の幸」の実績の考慮無ければ落選の憂き目に逢ったかもしれない、青木にしてみれば甚だ不本意で不満あふれるものであった。青木は白馬会系であったが、先に述べた「不正審査」に対する褒賞返還の抗議声明は太平洋画会系の画家中心に出されたもので、青木の「わだつみ…」は正にこの時のものであった。即ち青木の不満はライバル会派によって追認されたものとなった。因みにこの抗議文の署名者中の中村不折は一等、中川八郎は二等でありながらこの署名をしており、これが純粋な芸術のためか、会派の綱引きのためか、少なくても今日で考えられない褒賞辞退、審査員辞任に至る騒動の指し示す方向に今日までに至る美術界の俗な「社会化・組織化」があったということは確かだろう。
 ともかくこの審査に対する青木の批判は辛辣を究める。
≪叩頭また叩頭、折腰また折腰。朝夕を糞土の如く操られながら只管御機嫌の程害せざらんを唯懼れて、無節操、破廉恥、斯くの如くして漸く戴いたる一等賞牌の如何に絢爛たる事よ、如斯して倫み得たる床前の挙姿の如何に男子らしきよ、大家の藩屏!金轡、飯轡は嘗て聞きし所なれ共、賞牌轡は品が変わりて多少の効力あるべしと見ゆ」≫
 非常に難解な語彙があるが、「叩頭、折腰」とは卑屈な様、金轡、飯轡とは利益享受の代償に課せられる縛りのこと。趣旨を分かり易くまとめれば、「卑屈さに自らの人生を汚しながら、なりふり構わず漸く手にした一等賞のなんと絢爛たる事、そうまですることのなんと男らしいこと(皮肉)まさに、大家の下僕、物や金で身を縛られることは聞いたことはあるが、賞牌もそういう効力があるのだろう、いや、呆れてものが言えない!」というところか。
 さらに続ける。
≪今日の大家と為るには資格を要す。6,7年の留学は最有力にして、法螺達者にして技術稚拙なる可し、なかんずく技術最拙なれば芸術的良心存せん。芸術的良心は大の禁物にして幼稚なる画描きを愚弄して其の生活と研究の前途を遮絶するくらいの不徳は其好物とする処ならざるべからず≫
≪猶更に大家となるには武器を要す。陰険、邪知、姦黯、籠絡、破廉恥、失常識、無学、悪徳、卑劣、無頼、是等は皆備えざるべからず、右手に是等の兇器持ちて無辜青年をおびやかし左手に懸賞推薦の好餌を捧げて誘い、閻魔面、地蔵面以て己れ一人にて美術界を左右する者の様々なる顔を示さざるべからず≫
 文中の「幼稚」とは「無辜の青年」と同じく将来ある若い絵描きと解釈すべきで、「~ざるべからず」とは「~しないであるべきでない」との二重否定。
 何れにしろこのような凄まじいことを青木は美術雑誌「方寸」に寄稿した。その後青木は文展落選、九州を放浪、二度と中央画壇に復帰することなく30余年の生涯を終える。
 さて、青木が書いたような事情は遠い昔の物語ではない。本稿1で述べた本邦美術界特有の伝統、因習とは今も変わりなくいきている。勿論このような投稿をすることは青木自身に賞への拘りがあったからで、「無所属」を通せばこんな煩わしいことに捉われず只管自分の創造に邁進できるのであるが、当時は、というより今でも画家として生きるためには「一匹狼」など考えられず、美術団体という社会性、美術界の一定の枠組みの中に身を置くということを以てするしかないという事情を物語るものである。
 後述するが、中曽根康弘元総理は本邦美術界について「幇間美術」と言ったが、青木の批判とはまさにこの「幇間」を語るものであった。
(つづく)