話を戻せば、先の文にあった「硫酸バリウム」、「炭酸カルシウム」とはその体質顔料、混和剤的性質をもつものであり、「白色顔料」そのものではない。自ら白色の色味を持ち他色に対して着色力を持つ純粋な白色顔料とは、酸化亜鉛=亜鉛華(ジンクホワイト)、鉛白(シルバーホワイト)、二酸化チタン(チタニウムホワイト)の三種であり、他のホワイト各種は概ねそれをベースにした混合ヴァリエーションである。硫酸バリウムとは重硝石のこと、炭酸カルシウムとは、胡粉、白亜、重・軽質炭酸カルシウム等体質顔料として使われるものの共通した成分である。仔細は割愛するが、この炭酸カルシウムは屈折率(光が絵具層に入る時屈折する率)が低く溶き油と同じくらいなので油性媒材と混合すると透明になる。即ち白色顔料として着色能力はないので件の体質顔料や下地材として使われる。硫酸バリウムも混和剤として有効である。
  縷々ペダンティックな素材の基礎について述べたがこれは以下の文に繋げるためである。
チタン白 近代科学の優れた賜物。チタン白が顔料の世界に出現したのはつい数年前のこと…中略…酸化チタンだけでは顔料として十分な性質を持たないので、カルシウム、バリウムの塩類を複合させて、初めて顔料としての良い性質を整えることができると言われる。…≫(岡鹿之助著「油絵のマティエール」・美術出版社 1954年初版1974年第16版)
 同書は筆者もコドモの頃から親しんだロングセラーである。これが初版本の1954年の記述だとしても、そのつい数年前は1950年頃、いずれにしろ戦後しばらくしてからということになる。これも件の被告側証人の証言と符合するが、最大のポイントはカルシウム、バリウムの塩類(筆者注:即ち体質顔料)を複合させて、初めて顔料としての良い性質を整えることができるというところである。即ち落合文にある「チタン白(ルチル型)・硫酸バリウム・炭酸カルシウムの3種の主成分だけを検出した事実は、純粋アナターゼ型が登場するまでの限られた期間の時代的特徴をまさに表わしており」というのは全くの誤りであるということを示す。分かり易くいうなら贋作作家が安易にその時売られていたチタン白を使った場合、正にそういう結果がでるということになる。
 勿論岡はそれ以前の経過、即ち1916年ノルウェーでのチタン会社の創立、翌年アメリカでのピグメント(顔料)会社の設立、その後の英仏での展開などそれ以前の工業的経緯にも触れた上で「つい最近」と言っているのであり、これはクルト・ヴェーデルの述べた「長い経過」とも符合しているのである。(岡の方が出版は早いので同書の引用ではない)またこのチタン白は当然ルチル型と思われる。因みに岡は日本で最初にチタン白を使ったのは山下新太郎ではないかと言っている。岡は佐伯と同年の1898年生まれ、点描風の詩情ある画風で知られる。山下は1881年生まれ1966年没。岡の言う通りとすると山下は戦後相当な年齢の時に使用したと思われる。
 最後に、先に筆者は二種類のチタン白を使用していると言ったが、その中の一つには≪Zinc Oxide PW4, Titanium Dioxide PW6≫とのシリアルナンバーが表記され、酸化亜鉛と二酸化チタンの二種類の白色顔料の混合であることがわかるが、この混合チタン白はアナターズ型である。
 つまり、落合文ではしばしば「純粋アナターズ」とか「純粋ルチル」とか「純粋」という言葉を使っているが、確かに工業規格的には90~99%の二酸化チタンでなければならないとされているが、顔料(粉末)、練絵具においては先に述べた様々な条件に対応した混和剤、体質顔料の混入等の後処理がなされる。 その意味でチタン白に係る工業史と顔料史は必ずしも同一次元で論ぜられないのである。なお、粉末顔料としての瓶詰チタン白もテンペラ、混合技法、日本画用として当然市販されている。
(おわり・文責吉留邦治)