
(チタン白を多用した作品)
その客観的事実について、筆者の手許にある資料の趣旨は以下である。。
≪チタン白が市販されるのはアメリカが1916~1918年頃、ヨーロッパが1926年である。1938年までのチタン白はすべてアナターズ型であり、ルチル型のチタン白は、第二次大戦中に開発され、実際市販されるのは戦後である。≫
もう一つ、これは1967年に書かかれ、1993年の本邦で出版された「クルト・ヴェールデ著「絵画技法全書」における記述である。同書でもアナターズとルチルはともに二酸化チタン(TiO2)でありそれは結晶変異の差により分類されるものであるが、今日に至るまで様々な改良のための試行錯誤の経緯があったことを述べた上で以下様に結んでいる。≪既に1870年に知られていたこの顔料が、芸術家の周辺にも知られるようになるまでは、あらゆる事象が急激に展開した時代であったにもかかわらず、かなり時間を要した。チタン顔料開発初期に生じた疑惑は当然のことであり、これらの都合の悪い特質は、それぞれのタイプ(筆者注:アナターズとルチルのこと)の進展とともに目立たなくなり、そして完全に除去された。二酸化チタンやチタン白の確実性に安定性のあるタイプの存在はごく最近の事であり、芸術家の絵画技術にとって計り知れない恩恵をもたらしている。≫
繰り返すがこれはこの本の描かれた1967年時点での認識であるが、さらに40年以上を経過している現在でも変わるものではない。
ところで現在アクリルやアルキドと言った新しい素材の絵具が出ているが、これらは描画材として世に出たのは、繊維や塗料などそれらが工業的に出回り初めてからずっと後である。つまり、作品の出来や物理的価値に直接影響する描画材、即ち絵具はその分工業製品より一層の完全性が求められて然るべきであり、とりわけ他の素材に比しての問題点や扱いの難しさと格段の重厚さ、格調の高さという諸刃の剣的要素が併存する油絵具は猶更である。
顔料とりわけ油性媒材や様々な支持体を介する油絵具には、色調、白亜化、酸化重合、黄変、黒変などに係る安定性、他顔料との融和性、耐媒材性、着色力、固着力、被覆力、透過性、毒性等を総合的に分析し、問題点は克服し、注意すべきものなどは明確にしておかなければ市販には至らない。それには当然一定の経年変化もみなければならない。つまり、描画材として一定の地位を得るには相当の試行錯誤に係る年月が必要なのであり、チタン白に係る前記技法書の「安定したのはごく最近のこと」というのはそういう意味である。
落合氏らの分かりづらい論拠を 考察するに、氏はルチル型を含む「チタン工業史」はチタン発見の昔に遡って存在し、「顔料史」はその中のある時期からのものに過ぎないにも拘らず被告側証人らはその「顔料史」をもって全体を語ろうとし、結果佐伯存命中のルチル型チタン白の存在を不当に無視したということだろう。
しかし先に述べたように特定顔料が合理的経年変化も見ずに、その諸々の試行錯誤中の今だ海のものとも山のものとも分からないものが製品として出回るということは先ず有りえない。少なくてもこれは被告側証人らが示した「ルチル型1940年以降説」の合理性に対峙できず、仮に対峙し凌駕する証拠能力あるものとするなら、〇佐伯存命中画材としてルチル型チタン白が確かに販売されていたという事実〇それを佐伯が購入したと判断できる確かな状況〇ルチル型チタン白が他の佐伯真作から検出されたという事実等を立証するものでなければ総てはただの背景描写にしか過ぎない。
もう一つ、件の落合氏名義の文書では単に「顔料」としてのチタン白についてだけ述べているが、顔料とは絵具の元となる粉末のことである。周知のごとくこの粉を油性の媒材即ち植物性乾性油や樹脂、増粘剤等で練ったものが油絵具、アラビアガムで練ったものが水彩絵具、エマルジョン質を介したものがテンペラ、アクリル樹脂を介したものがアクリル絵具、膠が日本画描画材となる。一方落合氏らの言う工業的な初期チタンは何某かの媒材で練られた「絵具」ではなく粉末の顔料であるはずであり、佐伯がこれを使うとしたら別途油性媒材で練らなければならない。
佐伯は上掲の通りその独自の手製キャンバス作り(関連記事: http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/63169007.html)において、下地材として粉状の白亜と亜鉛華(ジンクホワイト)を使ったが、他は尋常なチューヴ絵具で描画材たるチタン白のみをわざわざ練るはずがないし、そんな手間はその生き急ぐような早描きからは到底無縁である、つまり事は「工業史」でも「顔料史」でもない落合氏らが立証困難な「絵具史」の次元の話となる。「ルチル型チタン出回ったのは1940年」というのはその絵具史で言うなら納得できる話である。因みにそれ以前は全部アナターズ、それ以降は全部ルチルというのでもない。
筆者が現在使っているチタン白はアナターズと酸化亜鉛(ジンク)の混合と他のメーカ―ではそれを一般的に「チタニウムホワイト」といっている「スーパ―ホワイト」という青みがかったルチル型のチタン白の二種である。黄変と粉っぽさが要警戒である。