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 Ψ 筆者作「知らない街」 F30 油彩

ところで「自由」という概念の中ではあまり語られないが、「負の自由」というものがある。それは「貧困の自由」、「病苦の自由」、「自死の自由」などもそうだが、「無知の自由」、「無能の自由」、「怠惰の自由」などである。それらは人の世の役にも立たないし、人間としてもその人生に意義や価値をもたらさない。価値を究めようとするものには用はないし、価値の世界からは排除される。したがって普通は無知・無能・怠惰を克服しようと努力するし,その努力自体がその人格を高めその存在を支えるものであるが、一部にはその履き違えた「自由」を根拠に、それ以前に存在する、趣味的、スローガン的「自我保守」を克服できなく、あまつさえその自我保守の方に世界を合わせて語ろうとする存在がある。其れが本人の次元で終始すれば哀れに思う以外に処置ないが、これが一歩外へ出れば、ネット社会から政治や社会の問題にまで発展すれば看過できないものとなる。
 アキバなどで起こった無差別通り魔、「オレオレ詐欺」、新大久保の「ヘイトスピーカー」などは現実とヴァーチャルの区別がつかない「オタク」趣味が社会的害悪にまで「育った」例であると言える。
 そもそも、昨今の「総保守翼賛」の一翼を担う、「若年性保守」には、創造力がない、自分の言葉で語れない、自分の思想をもてない故、事の本質や真の価値を見据えらない、その意味で無能、怠惰のはけ口を流行りものや威勢の良いフレーズに見出す、分かり易く言えば、遊び呆けようがバカであろうがそれなりに存在させてくれる体制への依存志向があるのは間違いない。
 従来からの頑迷な保守、例えば原発被害を受けた地域や原発を多く抱える地域でも自民党が圧勝したというのは呆れてものが言えないが、一方で東京は、定員五人中、反改憲、反原発を掲げる吉良よし子、山本太郎二人が当選したごとくの、覚醒した思想、価値の選択が都市の一部に見られ、わずかな希望は残る。

 さて、先の「文化芸術の二元性」においては、その世界特有の保守性にも触れた。それは以下の趣旨である。
≪古今東西多くの優れた芸術とは純粋で自由なものであった。それは「最小単位」である「個」が精一杯自我の存在をかけて創造し、表現したという緊張感に満ちていた。その「個」の頭上に何某かの別の価値があるとするならそれを信じたほうが早い。そんな限界ある「個」など必要ない。本邦美術界が低迷し、面白くないのは、前述のようにそれが、因習や悪しき伝統の踏襲であり、その意味で保守的で「個」を本当に晒したものがないからである。念の為に言っておくが真の「個性」とは「ブタが空飛ぶ」ようなヴィジュアルなものにではなく、「百万ありと雖も我行かん」という先ず「精神の有り様」を言うのだ。
 先に本邦の美術市場は世界に例を見ないと言った。まさにこの「年鑑評価型美術市場」とは日本的特質なのである。その年鑑類で大きな活字で頭の方に掲載されている「巨匠」たちは、先に述べた「彩管報国」の功あった者、団体展を作りその幹部であった者、その「政治的実績」や根回しで、文化勲章、芸術院会員等国家褒賞に与かった者で占められる。この国家褒賞の原点にあるのが、日本国民の精神生活の文字通り象徴たる天皇である。
  前述したが、本邦美術界は明治期以来の伝統的に国家支配下にあった。それは「おかみ」からの恩賜的褒賞体系、その下の因習、世襲、情実をベースとしたヒエラルキーと権威主義の歴史であった。昨今はこれに商業主義、マスメディア志向、流行といったポピュリズムが加わる。≫

 この見解についてもその後これを追認するようなフレーズに出合った。それは意外にも「俗の極み」たる政治の世界の保守の権化、とりわけタカ派、国家主義的権力思想の持ち主と言われた中曽根康弘の言葉による。彼はかつて現下の改憲思想の公然の目的たる「集団的自衛権」の先を行く、「日本列島不沈空母説」を唱え批判の的となったことがあるが、これはかくの通り保守改憲論者の本音でありその意味で正直なものである。
 正直と言えば、彼にはをその言動において、どこか「旧制高校的な純粋さ、潔さ」を覗かせることを信条としていたようなところがあり、日本軍の中国大陸進出についても歴代総理がことごとく「後世の判断に委ねる」と逃げていたのに対し、国会でハッキリ「侵略」と述べたり、共産党の特定個人についても「優秀だ」、「敵ながらあっぱれ」などとの評価をしている。その純粋さの表れかどうか知らないが、彼は意外にも、貧困病苦、放蕩無頼の果ての野垂れ死等、画家の宿命の一典型とされるエピソードにより「日本のゴッホ」との評価されたかの長谷川利行の作品を所蔵している。但し、利行自体は完璧に純粋であったわけではない。御多分に漏れず彼もまた名誉欲はあったようで、出品は新興の1930年協会や独立美術でなく老舗、権威筋の二科に拘り、その重鎮熊谷守一にはせっせと出世のための顔つなぎをしていた。
 ともかく、中曽根は利行について以下の発言をしている。
≪長谷川利行の如く文化勲章や芸術院会員を目指さず、庶民大衆に根差した美術が権力美術や幇間美術を上回る時、初めて日本にも真実の美術国家が誕生するものと思う。政治を志す私なども、大いに利行芸術を学ばなければならないと思い、私は事務所と応接間に飾って慌ただしい毎日を例え寸刻でも眺めながら心の糧にしている。(1972年2月長谷川利行展図録)≫
 当時自民党幹事長であった中曽根のこの発言内容は、前述の筆者の本邦美術界への見解そのままである。文中「幇間」とあるが、幇間とは「太鼓持ち」のことである。即ち現下の美術界での権威主義、ヒエラルキーの中にある、出世争い、ための「芸者」や「太鼓持ち」の存在すらに言及したものである。中曽根は自ら油絵を描く、その意味での趣味人であるが、左様な状況を流石に看破していた。

 さて、「保守」とは単なる政治的概念に留まらず、かくのごとく各方面、各レベルにある。
 無為と有意、本質と現象、国と国家、憲法と法律…あらゆる二元性について触れた。かつて「保守」は「革新」に対立する概念であったが、革新も左翼も今はない。今あるのは現象世界の優劣、利害に終始するのが「保守」であり、一方に現象の底流にある普遍性や本質に係る純粋な価値を希求する立場があるということだろう。