先に憲法と法律の関係を述べた。即ち憲法99条に明文化されているごとく、国民には憲法の遵守義務はない。しかし、法律を守る義務はある。守らないと罰せられる。この、国民に法律を守らせる権力があるのが、政府、裁判所、公官庁等「公」である。しかしこの「公」にも何某かのタガをはめないと「公」はやりたい放題のファシズムとなる。この「公」に嵌めるタガが憲法である。そしてこの憲法でうたわれた「主権者」が国民である。この原則が「立憲主義」、交錯するパワ―バランスの上にあるのが「民主主義」ということになる。ところが自民党は改憲を機に、国民に憲法への遵守義務を規定しようとしている。そうするとパワーバランスは崩れ、「公」は一方的に国民を支配・管理しやすくなる。
この図式を「公」⇔マスメディア⇔国民に置き換えれば、メディアの役目は明らかとなろう。権力を持たない国民の側に立って、権力を持つ「公」を監視する、それが民主主義に資すメディアの役目というものだろう。ところが昨今のメディアはそうではない。「公」の尻を叩き、国民を挑発、誘導し、あらぬ方向に向かわせようとしている。大手新聞、出版社の一部は目に余る。
昨今の大手マスコミの、中国、韓国、北朝鮮に係る報道、出版は、最早国際政治とか防衛問題の枠を超え、人種分析や優越評価に至る人種差別そのものであり、新大久保の「ヘイトスピーチ」と大して変わりない。それ沿った「中国人嫌い」、「朝鮮人嫌い」の「趣味的文化人」を登用するメディアにも「国策」の沿った作為を感じる。
唯一ネット社会は、個人レベルで主体性ある文化圏の形成が期待されるが、その匿名性とヴァーチャル性が仇となり、創造力のない、思想のない、自分の言葉を持たない故に、与えられる既成のスローガンやレッテルに手っ取り早く飛びつき、そういうものにしか自己のアイデンティティーを支えられないネットウヨクだかネットオタクだかが闊歩している。まさに「反日」、「売国奴」、「国賊」、「三国人」等々「懐かしの」ヘイトスピーチのオンパレードであるが、そのような言葉を使う者は、「オレオレ詐欺」のように、自己を卑しめることに抵抗感を持たない、「プライド」のない人間であるということは確実に言えるだろう。
さて筆者関連の話題に話を戻しまとめにかかる。
本邦には多くの美術団体があり横断的に美術家連盟のような組織もあるが、これらの団体が社会的存在としての芸術・文化のため、あるいは、外交防衛、政治経済、環境問題、社会一般等人類福祉に繋がる何某か、例え有志であっても国家に対して「物申す」ような態度を示したことはほとんどない。この保守性は先に述べた本邦特有の歴史的経緯や国家との関係もあるが、何より美術家個人が団体内部の社会性に支配され、そのメカニズムをこなすこと、その中での格付け、権威付けに汲々としているから、つまり「遊んでいる」からに他ならない。
そもそもこの国は文化全体の問題として忌まわしい大きな汚点を残した。それは「大政翼賛会」への参加である。それが美術界ではもっと積極的になる。それが「彩管報国」(絵筆を以って国家に報いる)である。
以下既出拙文援用(一部編集)
≪… それはまず1938年東京朝日新聞主催の「戦争美術展」に始まる。これは洋画は日清・日露戦争を主題とする戦争画、日本画は神道、武士道をテーマの歴史画が中心であったが、「戦争」を「美術展」の冠詞とするなど今日では考えられないような、当代の人心の戦争に対する「免疫性」を物語るものである。同じ頃「大日本従軍画家協会」が設立される。趣旨は従軍画家達の大同団結とそれによる「国防宣伝、宣撫工作、慰恤等に絵画を以て尽力する」ことであり、陸軍省後援で役員には官展側の藤島武二、在野(二科)側の石井柏亭等が就き、まさに先に述べた国家による一元的美術界支配を意図した「松田改組」の成果を語るものであった。
翌年それは陸軍の外郭団体としての「陸軍美術協会」となり、会長は松井石根陸軍大将、副会長は藤島武二(藤島死去後は藤田嗣治)、その後会則に「陸軍省情報部指導ノ下ニ陸軍ガ必要トスル美術ニ関スル総テノ問題ニ即応之ヲ処理シ以テ作戦目的遂行ニ協力スル」と、明確に戦争協力をうたい、名実伴に「軍芸一体」にものとなる。
以後毎年、否年何回も、「聖戦美術展」、「大東亜戦争美術展」、「海洋美術展」(海軍)、「航空美術展」、「紀元二千六百年美術展」、「決戦美術展」など、名こそ違え戦争、軍事絡みの美術展がいくつも開かれ、それらは通常の美術団体展を遥かに凌ぐ観覧者を集めるのである。
こうした一連の動きには先の藤島、藤田の他、中村研一、小磯良平、宮本三郎、安井曽太郎、梅原龍三郎、石井柏亭、伊原卯三郎、山田新一(佐伯祐三と関係が深い。後の光風会理事)等、多くその後の日本画壇や美術団体の中心的存在となるの画家達の名が見える。
そして戦局緊張の度を加えた1943年、「大政翼賛会」文化部指導により「日本美術報国会」が結成され「彩管報国」は一層明確となる。この会長は横山大観であり、彼が「紀元二千六百年奉祝美術展に出品したは「日出處日本」は、「神洲の霊峰を墨一色によって表はし、これに真紅の旭日を配した。これは筆技を超えた大観の優作であって、その奉祝の誠意を吐露した作品である」との評価を受けたが、それが時局を背景とした国威発揚の意義の評価であり、彼もそれを意図したものであることは疑いない。…≫
先に述べたように、こういう状況で「活躍」した画家たちが戦後において日本美術界をリードする、「ボス連」となったのである。
ともかく、個々の創造者、表現者の自由で純粋であるべき「自己実現」の場である芸術が、国家に捧げられ、利用された、この事実は、どのような観点からも忌まわしい、否定すべきものである。
もう一つ造形的結びつき要因がある。以下既出記事より。
(つづく)