イメージ 1

Ψ 筆者作「小さな美術館」F10 油彩

 では、その将来的な安保システムについての私論を述べる。有史以来人類はいろんなことをやってきた。宇宙にも行ったし、科学技術も進歩させた。人類の負の伝統であった人権抑圧や人種差別、野蛮な暴力は一つ一つ克服の努力が積み重ねられ、今では当たり前と思われる自由や平等や民主主義などの人類福祉は中世では考えられもしなかったことである。さらに、単なる人間中心の考え方を超え、この地球は人間のものだけでないという、汎地球的発想である温暖化防止や」地球環境保護の必要性に至る。只管人間の文明的利益のみを考え、原発や開発を優先するは、その発想のない狭隘な人間の為すことである。
 そういう意味でただ一つやってないことがある。それは「戦争」、即ち人が人を殺す道具を使って人を殺すということを無くすことである。
 今改憲のスローガンを声高に叫んでいる者らは理想論だセンチメンタルだ言う前に、その辺のことを真面目に考えたらどうか?東北大震災の犠牲者は2万人であるが、太平洋戦争の犠牲者は300万人超である。震災は防げないが戦争は防げる!
 
 さて冒頭述べた「安保システム」について以下様に考える。かつてイラクがクェートを侵犯した時、世界はこれを許さなかった。イラクを攻撃したのは「多国籍軍」である。また、ユーゴ内戦にはNATO軍が介入してこれを鎮めた。しかしこれは、主導的役割となったのはアメリカである。そのアメリカは実は「自由と民主主義の担い手」たる名目のもとに、「世界の警察」として自国の世界戦略を展開するのであり、世界の紛争総てに対して言うほど正義で公正ではなかった。(※この記事アップ直後、アメリカの日本やEUへの「盗聴」疑惑が発覚した。)
 大義名分のない第二次イラク攻撃や、古くはベトナム侵略戦争、反米政府転覆に係るCIAの暗躍など枚挙に暇ない。テロリストはアメリカが介入するたびに増えているのである。
 したがってこの主導的役割をアメリカ一国ではなく「国連」が行う。国連に強力な「相互安全保障機能」を具備させる。国連には世界の平和に資すべき義務がある。この機関が国連平和維持軍である。勿論朝鮮戦争時のものとは違う。組織は、安保常任理事国だけでなく、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、アラブ等第三世界の代表で構成する。当然陣営や体制、宗教や理念が違うものが混在するが、当事国同士に問題が生じたら内部で事前に調整ができることになる。平和維持軍は「国連軍」であるので国籍は有しない。「自衛隊」もこれに参加するが、「国連軍日本支部」なので「日本軍」は存在しないし、集団的自衛権の参加でもない。法的根拠は新たな「PKO法」のような別法で規定する。
 アメリカにとっても悪い話ではないずだ。アメリカは世界に手を伸ばし過ぎ、膨大な軍事費が国家財政を逼迫させている。「改憲後の日本肩代わり」論もその狙いがあるはずだ。こうしてできた強力な国連平和維持軍は、あからさまな侵略やホロコーストがあった場合出動する。非常に強力で国際的拘束力あるものなので、それを事前に抑える本当の抑止力となる。自衛隊にとっても実戦の危険性は改憲後の「集団的自衛権」よりはるかに少ないだろう。これが理想的に進化すれば、軍隊というものは国連にだけ存在し、各国毎の軍隊はほとんどいらなくなる、人類の最後のテーマ、軍隊、戦争も無くなるということになる。核廃絶は言うまでもない。核のみではなく、同時に兵器の生産を一切禁止する。こうすれば軍隊も戦争も持ちたくても、したくてもできない。圧力団体の力でいつまでも「銃社会」から脱却できないアメリカの悲劇は周知の通り。悪い道具は無くせば悪いことはできない。簡単な話である。
 この「国連平和維持軍」の機能は理想論ではない。先に述べたように、「多国籍軍」、NATO等現実に存在したのだ。それを公正な国連に拡大すればよい。軍隊そのものは既にある各国の兵器、軍隊のラベルを「UN」に貼り替えるだけでよい。仔細は運用面で調整すればよい。
 即ち、日本がどこかの国から不当な侵犯を受けたら、先ず専守防衛で対処、対処できない場合より強力な国連軍(「日本支部」を当然含む)による「相互安全保障機能」を発動させる。これにより、「日米安保」は要らない真の独立国となり、改憲による日本軍もいらないし、勿論これは非武装中立でもない。
 以上は勿論素人の考え方であり、実際は数多の克服すべき問題点はあるであろう。しかしそこから先は、考える頭がるななら、それで金をもらっているプロの政治家が考えろっつーの!
 昨日までタレントであった者の「風評利益」に便乗して、、その底の浅い、思いつきの政策に迎合する者、自己の生き残りだけを考え無様に変節する無節操、威勢が良いだけの流行りもののスローガンを声高に唱えるミーハー、これらにそれを期待することはできないだろう。

 さてここで諸々の当主張が既成の「反改憲論」の立場を安易に踏襲したものではないということも触れなければならない。
旧社会党の「非武装中立」論は実は素晴らしいのだ。間違いはこの国の人間が、というより人類がそこまでのレベルに達していないということ。もう一つ、非武装中立も絶対平和主義も一国の主義主張なら良いが、相手があるということにつき具体的説得力を持たないということである。一方日本共産党は「中立自衛」の立場であり、対侵略戦争、民族独立戦争等合理性のある戦争は是認するという意味で絶対平和主義ではない。つまり、「国民の総意による、民主的な、対米従属でない軍隊」ならば是認する。しかし軍隊の中身はどうあれ、構造的には軍隊と変わりない。また旧社会党の一部にあった「自衛隊違憲合法論」も、先の立憲主義、即ち憲法と法律、国と国家の二元的関係に立てば苦境は脱せそうだが御都合主義にかわりなく、言えば言うほど改憲論に近づく。つまり、実は長い間持ち続けた自民党の自衛隊をめぐる≪本音≫も「違憲合法論」であるからだ!
 そもそも、「自衛隊は憲法違反」と言い続ける者が、一朝有事に当たり「改憲しなくても自衛隊があるじゃないか」というのも御都合主義である。つまり、反改憲、護憲運動はは9条下の専守防衛を認めつつ、将来の自衛隊に代わる前記安保システムを提起するという形で一本化すべきである。

 一つだけ言っておこう。改憲すれば再軍備する。再軍備すればおもちゃの兵隊ではないので必ず戦闘行為をする。先に述べたように「抑止」は幻想である。「国際貢献」も「集団的自衛権」も改憲により必ず戦闘行為を伴うことになる。戦闘行為をすれば必ず戦死者が出る。ではその戦死する者は誰か!?今それを煽っている為政者や御用マスコミ人や幹部自衛官はその社会的地位、立場をうまく利用して自ら死ぬことはない。死ぬのは末端の自衛官であり、召集予備自衛官であり、徴兵されるであろう(自衛官の絶対数は必ず不足する)若い一般人男子である。改憲を叫ぶ者は、その戦死者の数に自らや自らの子々孫々が含まれることも覚悟してから叫び給え!
(つづく)