最終日、閉館間近にH.Iさん駆けつける。Iさんとは佐伯出版記念会」で知り合った。今回も数多の水彩画を抱えていた。ただの水彩画ではない、戦争中と戦後の様子を記憶を手掛かりに仔細に描きとどめた資料的価値のあるものだ。彼女は1945年「山中坂の悲劇」(米軍の空襲により数多の犠牲者が出た立川空襲の経験者。下町中心の「東京大空襲」は有名だが、軍事施設を狙っての都市近郊空襲もあったのだ。
そうしたことの経験や戦後の生活の様子の「語り部」として彼女は武蔵野地域の小学校を回っている。その様子を報じたの新聞も見せてもらった。とにかく、凄い記憶力である。CGによる作り物くさい「オールウェイズ・三丁目の夕日」よりリアリティ―を感じる。それは例えば昔、便所の前にぶら下がっていた手水器などのディテールにも及ぶ。
前回の時、「イラストや漫画でパターン化されている黒い線の縁取りを取った方が…」と言ったことを覚えていて、「試みたんですが、学校などでははっきり見えたほうが良いので…」との返事。 「そうですね、では個人的な作品でやってみては、ともかく今のご時世、こういう活動は貴重です」と筆者。
Yさん、F先生、Wさん、Iさん…自らの為、人の為、やるべきことをちゃんとやっている人との出会いがあった。
(終わり)

Ψ筆者作 「城と橋のある街」 M50 油彩
柄でもないし、絵とも合ってない、傍聴した懐かしい曲のBGM。木の実ナナとカトリーヌ・スパークが歌った。
これも思い出す。